続・大人の約束

 昨日の夜は、ピースのケーキをひとりにつき、ひとつずつ買ってきて食べた。ディナーもいつもより少し豪華なものをデリバリーしたが、永江家にとっての本当のクリスマスは今日、26日だ。
 御田が子どもたちに贈ったプレゼントは、真尋には木製のパズル、真純にはハンドメイドのテディベアだった。手作りの本当に良い物に、小さいうちから触れさせようというのだろう。相変わらず、永江よりもよほど立派なパパぶりだった。
 クリスマスの朝、目覚めた子どもたちを狂喜させたそのプレゼントは、永江が贈ったサッカーボールとおもちゃのピアノとともに、リビングに出した小さなツリーの足許に大切に置かれている。子どもたちは「サンタさんから」もらったプレゼントを大好きなみっちゃに自慢したくてたまらないらしく、さっきから玄関と窓の間をそわそわと往復しては、「パパ、みっちゃはまだー?」と繰り返し尋ねてきた。
 御田は今晩は仕事が入っていないが、前日までのイベントごとの事後処理が色々とあるらしい。
 マンションに到着するのは夕方以降になると教えたのだが、今度は「ゆうがたって、なんじからなんじまで?」と詰め寄ってくるので、永江はすっかり困ってしまった。
 永江も今日は午後五時すぎまで店で働き、少し前に仕事を終えてそのまま保育園に直行して、子どもたちを連れて帰ってきたところだ。前日に御田から『店で出た残り物を明日持っていくから、食事の準備はしなくていい』というメールが入っていたので、お言葉に甘えてクリスマスパーティーの準備はほとんどしていない。
 ただいつも使っているダイニングテーブルにいつもは使わないクロスをかけ、キャンドルと皿を出して、メインディッシュとケーキと、御田の到着を待つ。
 窓から外を見下ろして外から帰ってくるだろう御田を待つのにも、御田が入ってくるだろう玄関をチェックするのにも飽きてしまった子どもたちが、並べた皿をスプーンとナイフでチャカチャカ叩き出したのを叱っていると、ふいに玄関のチャイムが鳴った。
 御田はいつも合鍵を使って勝手に部屋に入ってくる。だから宅急便か新聞の集金あたりだろうと思ったのだが、モニタを確認すると、そこに映っていたのが御田だったので永江は意表を突かれた。
 背が届かなくて壁に取り付けてあるモニタを見ることができない子どもたちが、永江の足許で「みっちゃ、ねえみっちゃ!?」とぴょんぴょん跳ねながら騒ぐ。その声が集音マイクを通して伝わったのだろう。御田が「鍵を開けてくれ。手がふさがっているんだ」とカメラを見上げながら言った。
 ロックを解除し、子どもたちとともに玄関に出て扉を開けて待っていると、ほどなくエレベーターから両手いっぱいに荷物を抱えた御田と、そのあとからもう一人、やはり荷物をたくさん持った男が歩いてきた。
「みっちゃ!!」
 御田との三日ぶりの再会に真尋と真純が競って駆け出し、長い脚にどすんと体当たりした。両足を踏ん張ってその衝撃に耐え、御田は子どもたちのあとからついていった永江の顔を見て言う。
「永江、こいつらを離してくれ。荷物を運べない」
「はいはい。しかしすごい荷物だな」
 嫌がる真尋と真純を御田の足からべりっと引き剥がしながら、御田の姿を呆れ混じりに眺める。
 御田は右手に四角い箱を抱え込むようにして持ち、肘にも大きな花束を抱えていた。さらに左手に、折り詰めがたくさん入った大きなビニール袋を提げている。永江は先に立って部屋の扉を大きく開き、御田と、そのあとに従った派手なスーツを着た若い男を中に通した。おそらくは御田の店で働いているホストなのだろう。かなり痩せた体つきと、枯れ草のように褪せた色の髪が印象に残る。
 抱えていた荷物を廊下にすべて下ろし、男から受け取った荷物もその横に置いて、御田が小さく息を吐いた。
「こんなところまで悪かったな、助かった」
「いえ、とんでもないです。じゃ、俺はこれで失礼します」
 にこにこと嫌みのない笑顔で御田に頭を下げた男は、向き直って永江にもぺこりと頭を下げてくれた。
 ボランティアで時間外労働を引き受けてくれたらしい彼に、永江も「本当にありがとう」と礼を言う。それからふと首を傾げた。
 褪せた髪色といい、体つきといい、それにこの顔にも妙に見覚えがある気がする。いったいどこで……と永江が考え込んでいるうちに、男は部屋を出て行ってしまった。パタンと扉が閉まる。その瞬間、永江は「あっ」と思い当たった。
「御田、今の彼は、ひょっとして光輝君か?」
 男が出ていった扉を茫然と眺めながら聞くと、廊下に置いた荷物をいくつか持ち、子どもたちを引き連れてリビングへと向かいながら御田が頷いた。
「ああ、うちの店の見習いホストだ」
「見習い? 彼が!?」
 光輝は、御田の経営するホストクラブでかつて何年も続けてトップの売り上げを誇っていたホストだ。しかししばらく前にトラブルを起こし、御田によって解雇された。
 その後どうしているのか気にはなっていたが、まさか入店して間もないホストと同じような扱いで、一から働き出していたとは。
 トラブルを起こしたとはいえ、光輝はその業界では名の知られたホストだ。本人が望みさえすれば、よりよい条件で受け入れてくれる店はきっとたくさんあることだろう。それでもなお、光輝は御田の下で再び働くことを望んだのか。
 荷物を置いて、また御田が戻ってくる。よほど永江の顔が物問いたげだったのか、こちらから聞く前に教えてくれた。
「もう一度うちの店で働かせてほしいと、あいつのほうから土下座してきたんだ。ふざけるなと叩き出してやったが、毎日毎日懲りずに店に来て、やめろといっても同じことを繰り返す。放っておいたら、そのうちこのマンションまで押しかけてきそうだったんで、雑用からやり直すなら雇ってやってもいいと言ったんだ。そうしたら、迷いもせず頷きやがった」
 そこまでやられたら雇い直してやるしかないだろうと、少し乱れて落ちかかった前髪を掻き上げながら苦々しげに言う。だがその口調はいかにも言い訳めいていて、永江はくすりと笑ってしまった。
「いいことをしたじゃないか。彼も前に見たときよりずっといい顔をしていた。今は真面目に働いてくれているんだろう?」
「まあな。今日も最後まで店の片付けをしていて、この荷物を車に運ぶときも、あいつから手伝うと言い出してくれた」
「そうか、よかったな」
「光輝がうちの店でもう一度働き出してから、まだひと月も経ってない。よかったなんて言ってやるのは早すぎる」
 そうじゃない、お前にとってよかったと言いたかったんだと、付け加えようかと思ったが止めた。
 容赦なく首を切りはしたが、御田が光輝のことを内心ひどく気にかけていたことは分かっていた。立ち直って、再び自分のもとで働き出してくれたことが嬉しくないわけがないのに、相変わらず素直じゃない。
 と、御田が一度脱いだ靴にまた足を突っ込んだ。
「なんだ、どこに行くんだ?」
「いったん部屋へ戻って、服を替えてくる」
「別にそのままでもいいじゃないか。今日は事務処理だけで、店には出ていないんだろう」
 御田のダブルスーツからは、アルコールの臭いも煙草の臭いも感じない。ただかすかに苦みを含んだ甘いムスクの香りだけが漂ってきた。うっとりするような刺激的な香りだ。シャワーなんかで消してしまうのはもったいなさすぎる。
 ふたりの会話が聞こえたらしく、リビングでなにやらはしゃいでいた双子たちも玄関に戻ってきて、永江の気持ちを大声で御田に代弁してくれた。
「みっちゃ、またどこかいっちゃうの!?」
「そうじゃない、シャワーをして着替えたら、すぐまた戻ってくる」
「なんでー? ますみもうおなかペコペコで、がまんできないよぅ」
「みっちゃのもってきてくれたまるいケーキ、はやくたべようよ! ぼくね、サンタさんのおにんぎょうのところがほしいの」
「はいはい、丸いケーキを切るのは、食事が終わってからな。ほら御田、行こう」
 残りの荷物を運びながら永江が促すと、小さなため息をついて御田は再び靴を脱いだ。
リビングの中は暖かくて、外に出たり玄関で話したりしているうちに冷えてしまった両手を永江はこすり合わせて温める。それからダイニングに向かおうとして、ソファの足許に置いてあった白い布袋のことを思い出した。
「ああそうだった。御田、これ」
「?何だ」
「なになにー?」
 布袋を御田に押し付けると、子どもたちも身を乗り出して覗き込もうとする。永江はおととい田丸を怖がらせてしまった笑みを満面に浮かべた。
「俺からのクリスマスプレゼントだ。一日遅れたけど、受け取ってくれ」
「プレゼント? そんなものは気にしなくても……」
 言いかけた御田が、袋の中を見た途端、ぴたりと口を閉ざす。眉根を寄せ、無言で中からずるりと赤い布を引き出すと、数秒の沈黙のあとに低い声で聞いてきた。
「……何だこれは」
「着替えたかったんだろ? ぜひそれを着てくれ」
「着られるかっ。第一これは、東吾が一昨日着ていたやつだろうが!」
 サンタの衣装の上着を握りしめた御田の手が、怒りでぶるぶると震えている。あ、これはまずいかなとちらっと思ったが、御田が爆発する前に子どもたちが喜びを爆発させて、御田の怒りをうまくはぐらかしてくれた。
「みっちゃ、サンタさんになるの!?」
 赤い衣装を見上げた真尋が、興奮したように叫ぶ。そのつぶらな瞳は、期待でキラキラと輝き出さんばかりだ。
「わーい、みっちゃのサンタさんー!」
 今度は真純が両手でばんざいをつくり、二人して御田と永江の周りをぐるぐると回り出した。怒っていた御田の顔が、みるみる困った顔に変化していく。
「いや、俺は……」
「みたいー! みっちゃのサンタさん、みたいみたいみたいみたい!!」
「…………」
 追い詰められてしまった御田はついに言葉を失い、途方に暮れた様子でその場に立ち尽くしてしまった。

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