続・大人の約束

 夜の8時を回ると、アメ横のほとんどの商店が閉まるせいもあり、客足がだいぶ鈍ってくる。
 少し落ち着いた店内を見渡しながら、今のうちに子どもたちと佐久間の様子を見に事務所に顔を出してこようかと考えていると、そんな永江を引き止めるかのように、勢いよく店の扉が開かれた。続いて慌しく入ってきた男の姿に、永江は自分の目を疑った。
「え、御田?」
 驚きのあまり、つい声に出してその名を呼んでしまった永江に向かって、御田が大股で近づいてくる。片手には大きな紙袋を提げていた。
 永江の手前にいた阿達がやはり驚いたように御田を見るのに、横を通り過ぎざま目配せで挨拶らしきものをして、御田は永江の前に立った。
「すまない、今ちょっといいか」
「今? なにか用事があって来たのか?」
 頷いた御田は、ずいぶん急いでいるように見えた。
 仕事中なのでためらったが、ちょうど今は人手が足りている。阿達も「大丈夫ですよ」と言ってくれたので、永江は彼や田丸に詫びてから、奥のカウンターに御田を通すことにした。
 すすめたスツールを断って、御田はカウンターの前に立ったまま、「真尋と真純は今日はどうした」とまずまっ先に聞いてきた。
 よほど気になっていたのだろう。永江がタクシーを使って保育園までふたりを迎えに行き、今は事務所で佐久間に相手をしてもらっていることを教えると、ほっとしたように肩に入っていた力を少し抜く。
「会っていくか? 今日おまえに会えたら、きっと喜ぶ」
「いや……、今日は本当に時間がないんだ。移動中に立ち寄っただけだから、すぐ店に戻らないといけない」
 言いながら、御田は提げていた大きな紙袋から綺麗にラッピングされた包みをふたつ取り出し、カウンターの上に置いた。よく見ると、御田の秀でた額にはうっすらと汗が浮いている。この男には珍しいことだ。車を停めた場所から、ここまで駆けてきたのかもしれない。
「26日に会ったとき直接渡すつもりだったが、あいつらがサンタクロースをまだ信じているなら、今晩贈ったほうがきっと喜ぶだろう。悪いが今晩子どもたちが眠ったあとに、これを枕元に置いておいてくれるか?」
「ああ、なるほど」
 昨日の朝の子どもたちの言葉を、どうやら気にしていたらしい。気を遣わせたことをすまなく思う一方で、忙しい中、わざわざここまでプレゼントを届けてくれた御田の気持ちが嬉しかった。
「わかった、たしかに置いておく」
「この後あいつらと一緒にマンションに帰るんだろう。中身を悟られずに持ち帰れそうか?」
「なんとかするさ。――ありがとうな、御田」
 礼を言うと、御田はむっつりした表情で浅く頷いた。表情は少ないが、こういうときの御田は照れているのだ。長いつきあいの永江にはそれがわかる。
 緑と赤のクリスマスカラーの包装紙に、大きなリボンが結ばれた派手な包みを大事に手元に引き寄せながら、永江はからかう口調で言った。
「しかし驚いたな」
「なにがだ」
「仕事がらみでもない限り、お前はこういうイベントごとには興味ないタイプだと思っていた」
「……まあ、忙しいばかりで、たしかにうんざりする季節だな」
 そこらへんに疲れがたまっているのか、御田は両目の間の鼻柱を指先で揉んでから、一度閉ざした瞼をゆっくりと持ち上げた。黒々とした瞳に間近から見つめられ、永江は不覚にもドキリとしてしまう。
「だが、それはまた別の問題だ。今日これから店に行けば、馬鹿らしいほど何度もプレゼントをやったり、もらったりしなければならないに決まっている。ほかの大勢の人間とプレゼントのやりとりをするのに、一番大事なやつらに何もしないでいるのは我慢できない」
「そ、そうか」
「――だから、これはおまえにだ」
 紙袋に手を差し入れ、御田は中からもうひとつ包みを取り出した。子どもたちに贈るものよりもだいぶ小さく、シンプルで上品な包装紙に包まれている。中にはなにかの箱が入っているらしく、平たい長方形をしていた。
「使えそうだったら使ってくれ。必要なければ捨てていい」
 ぼそりと言って、「ありがとう」の言葉も待たず、御田はくるりと踵を返してしまった。
 そのままさっさと歩き去っていく背中に、永江が慌てて「御田、あさって待っているからなっ」と声をかけると、振り向かないまま小さく頷く。
 そしてあっという間に、風のように御田は店を出て行ってしまった。

* * *

 ――閉店後に御田からもらった包みを開けてみると、中から出てきたのはオフホワイトのドライビンググローブだった。
「……イタリア製か、金持ちめ」
 ロゴをたしかめて憎まれ口を叩きながら、永江はグローブを手にはめてみる。本物の羊革が使われているようで、よくなめされたしなやかな革が肌にしっくりと馴染んだ。
 バイク乗りの永江のために、わざわざこれを選んでくれたのだろう。指先までグローブに包まれた手は暖かかったが、それ以上に胸の奥がぽかぽかと温かくなってくる。
「やばいな……」
 グローブを外し、元通り箱にしまい直しながら、永江は声に出さずに呟いた。
 またあいつのことを好きになってしまった。これ以上好きになってどうするんだと、つい自分に問いかけてしまう。
 御田に対して特別な感情を抱くようになるまではそれなりの時間が必要だったのに、いったん好きという気持ちが芽生えてからは、それまで気にしていなかった御田の様々な部分をどんどん好ましく思うようになってしまった。
 好きな部分が増えて、それが永江の心にべったりと張りついて、沼地にはまるようにずぶずぶと御田にはまっていく。おそらく、永江はもう抜けだせないところまで来てしまっている。
「……あんなに無愛想なくせに、ずるいやつだ」
 御田にはまってしまっているのは、なにも永江だけではない。
 真尋や真純、それに永江が知る限り、御田が仕事中にかかわっている女性客や部下のホストたちだってみんな御田に心酔しきっていて、メロメロなのだ。
 こんなに大勢の人間の心を手中にしているなんて許し難かった。なにか意地悪のひとつもしてやりたくなる。
 永江は足許に視線を落とした。そこには白い大きな布袋が置いてある。
 開いた口から覗いている真っ赤な衣装は、つい先ほどまで阿達が身につけていたものだ。営業が終わったあと阿達は服を着替え、そして今は佐久間を手伝って、事務所で真尋と真純の相手をしてくれている。
 明日は、阿達にはいつも通りのパリッとしたスーツ姿で出勤してもらうことになっている。なのでこの衣装は、少なくとも今年はもう使うことはない。
 阿達に進呈するつもりだったが、これから佐久間とふたりでどこかに出かけるというので思い止まった。つきあって初めてのクリスマスに、こんな荷物を持たせるのは無粋すぎる。それに……この衣装には、まだ良い使い道があるではないか。
 長身の阿達が着ることのできた、ビッグサイズの服。あさって使うにはおあつらえ向きだった。
 衣装の使い道を考えるうちに、知らず唇がほころんでいたらしい。
 店のウィンドウを拭いていた田丸が、そこに映り込んだ永江の顔を見て口許をひきつらせ、おそるおそるこちらを振り向いて、言ってきた。
「……悪い顔してますよ、店長。いったいなに企んでるんですか?」

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