恋は語らず -Chapter.3-
7
――なんというか、嫌になるほど可愛げのない男だと思った。
顔はまあ、整っている部類に入るかもしれないが、なにしろ表情が冷めすぎているため、眼を合わせるだけで心が寒々となる。
同い年のくせに妙に超然とした態度もしゃくに障るし、それに加えて顔の一部のように馴染んだ細いフレームの眼鏡が冷徹な雰囲気をさらに強調しているようで、嫌みたらしい。二反田はひと目でこの男のことが嫌いになった。
(いったい何だってこんな鼻持ちならない男と早瀬の間に妙な噂が立ったりしたんだ。いくら何でも趣味が悪い)
胸の内で吐き捨てながらも、まあつまりやはりあの噂はデマだったということだなと、結論付けた。
あの女好きの早瀬が、わざわざ好き好んでこんな可愛くもない男を相手にするはずがない。そんなことがもしあったら、物好きにも程があるというものだ。
導き出された結論にやけに清々しい気分になりながら、二反田は土岐に向かい、胸を反らせて朗々と自己紹介を始めた。
「君ごときに教えてやるのは惜しまれるが、聞かれたならば名乗らずばなるまい。僕は峰華中央学園高等部生徒会長兼、運動部長兼、テニス部主将兼、二年E組今日の日直の二反田聖だ。峰華のクリムゾン・ローズ、関東平野の金●武、日本国のオー●ンド・ブルー●といえば、この僕のことだ。君も以後よく覚えておくように。もっとも忘れたくとも、僕のこの隠しようのない輝かしいまでのセレブ・オーラ、君のような庶民は、一度見たら一生忘れられはしないだろうがな!」
語尾に高笑いをオプションでつけたら、息継ぎに失敗して思い切りむせた。ゲホゲホと咳き込む二反田を椅子に座ったまま冷めた眼差しで見上げて、土岐が平坦な声で呟く。
「面白い友人だな、早瀬」
すると壁際に逃げ込んでいた早瀬が、途端に嫌そうに顔を歪めた。
「よせ。俺は一度だってそいつと仲良くした覚えは無い」
「そうだ、僕らは幼少のころから競い合い、敵対しあった永遠のライバル同士。友人などという生温くて、軽い関係とは違うんだ。悪いが、君と一緒にしないでくれないかな。うー、ゲホゴホ」
喉の調子が整わなくてまだ噎(む)せながらも、早瀬の言葉をどこまでも前向きに捉えて、二反田は誇らしげに言い放った。「誰がライバルだ……」と早瀬がげっそりしているのには、都合よく気づかない。
どうだ恐れ入ったかと真上から土岐を見下ろすと、恐れ入った様子はまるでなくふっと口許に小さな笑みを浮かべ、土岐がようやくゆっくりと立ち上がった。向かい合い、自分のほうが幾分背丈で勝っていることを知って二反田はひとり悦に入ったが、土岐はそんなことは歯牙にもかけない様子で、涼やかな眼差しでこちらを見つめ返してきた。
「噂が許せなくて、義憤のあまりここまで来たと言っていたが」
わざわざ他校の制服まで調達して、ご苦労なことだなと言いながら、二反田の頭から爪先までを流し見て、再びその顔に視線を当てると、どこか楽しそうに聞こえる口調で尋ねてきた。
「もしその噂が本当だったらどうするんだ?」
「くだらないな。イ●ポ云々は男だったら調子がよいときもあれば悪いときもあるから、まあまったくありえないとは言わないが……」
「だからねえって言ってんだろが!」
顔を真っ赤にしてわめている早瀬には構わず、二反田は挑戦的に土岐に向かって言い放つ。
「早瀬がどれほど節操なしに女好きかを、僕はよくよく知っているんだ。そんな彼がぺんぺん草も生えない荒野よりも不毛な男同士の付き合いに踏み込むなんて、オットセイがイナバウアーをするより有り得ない。もしそんなことがあったなら……」
「あったなら?」
「早瀬と僕との熱いライバル関係もその時点で終わりを迎え、縁が切れることになるだろうな!」
だが僕はもちろん君のことを信じているよ、早瀬! と、力強い笑顔を見せながら早瀬のほうを振り返ったのだが、彼は酸っぱいものでも食べたような顔で、何のコメントも返さないままそっぽを向いてしまった。
かわりに戸口のところにいる行成が、「オットセイって、結構背中を逸らし気味じゃなかったっけ? 鼻の頭にボールとか乗っけながら」などと、どうでもいいところに突っ込みを入れている。
と、廊下のほうからドカドカと荒々しい足音が聞こえてきて、勢いよく扉を開ける音ともに、行成のさらに後方から野太い声が響いた。
「こんなところで何をしている、春日井! とっくに部活は始まっているぞ。早く体育館に……っ、……だれだ、おまえは?」
現れたのはジャージ姿の中年男だった。行成に寄り添うようにして立つ、あの妙に迫力のある一年生に声を掛けてから首を突っ込むようにして美術室の中を覗き、部屋の真ん中に立っている二反田の見慣れない姿を発見して不審げに眉をひそめる。
恐らくこの学校の教師なのだろう。どっと背中に汗をかきながら、二反田がどうこの場を切り抜けようかと思考を巡らせていると、先に驚いたようなボーイソプラノが上がった。
「うっわ、梶間(かじま)先生って生徒の顔もちゃんと覚えてないの!? かわいそー、ニッ君。たしかに顔に似合わず病弱で、滅多に学校に来ないから印象薄いのは分かるけど、せっかく今日は膀胱炎の痛みを押して登校したのに」
……「ニッ君」とはどうやら二反田のことらしい。
非難めいた口調で行成に咎められ、梶間と呼ばれた教師の眉がハの字に下がった。ごつい肩をすくめ、恐る恐る尋ねる。
「う、そ、そうだったか、すまん。ちなみに何年何組の生徒だったかな……?」
「ニッ君は若年性健忘症の症状も出始めてるから、それは思い出したらまたー。ほら春日井、先生がわざわざ探しに来てくれたんだから、早く部活に行かないと」
畳み掛ける勢いでうやむやにしてしまうと、行成が軽く背中を押して春日井を促す。
会話には加わらず、戸口のあたりで静かに立っていた春日井だが、ちらりと室内に視線をやってから行成に向かって小さく頷き、まだ首を傾げている梶間と連れ立って、体育館に向かって歩き始めた。
自分が去っても行成がひとりになるわけではないし、二反田の目的が早瀬にしかないこともすでにはっきりしている。べったりとくっついていなくてもひとまず心配はなさそうだと判断したのだろう。
「俺もまたあとから見学に行くから、しっかりー」と、大きな背中に向けて手を振っている行成にどうやら助けてもらったらしいと判断し、それにしてもなんだってよりによって病名が膀胱炎と若年性健忘症なのかと問い質したいのをこらえて、二反田は心ばかり、行成に頭を下げた。
「――おかげで助かった。礼を言う」
「こちらこそ、お蔭さまでいっぱい笑わせてもらっちゃって。あれ? もう帰っちゃうの」
ケチがついたので今日はひとまず帰ろうと少ない荷物を手に取り、戸口に向かいかけた二反田に、行成が残念そうな顔をした。だがこれ以上ここに留まっていれば、行成に丸め込まれた梶間が正気に戻って再び駆けつけてくる可能性がある。あまりのんびりとしているわけにはいかなかった。
「とりあえず今日言うべきことは言った。――早瀬!」
二反田の進行方向にある壁際に立っていたため、その歩くのに合わせてより離れた位置に壁沿いに移動しかけていた早瀬が、ビシッと指を突きつけられて動きを止める。
「忘れるな、君は僕の永遠のライバルだ。これ以上無様をさらすことは許さない。そのうちまた様子を見に来るからな」
「いらん、来るな!」
間髪入れずに返ってきた早瀬の言葉は照れ隠しなのだろうと片づけ、次はいつ来ようかと二反田が早速考えていると、ふと土岐と視線が合った。
作業台に軽く体重を預けて立っていた男は、二反田が反射的に睨み付けてもそよ風に吹かれたほどにも動じない様子で、挑発めいた口調でおもむろに告げる。
「そっちも、さっき言った言葉を忘れるなよ」
「言葉?」
どの言葉のことを指しているのか、しゃべりすぎたこともあって、判断がつかない。「なんのことだ」と聞いても、土岐は答えなかった。かわりにやおら早瀬に近づくと、すっと手を伸ばす。
「?土岐」
いきなりうなじに手を回されて体を引き寄せられ、早瀬が戸惑った声を上げた。ふたりの距離がぐっと近づく。そして二反田が見ているすぐ前で、目を丸くしている早瀬の唇と、薄い土岐の唇が隙間なく重ねられた。
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