恋は語らず -Chapter.2-

22

 誰も通る者のない、ひっそりと闇に沈んだ廊下に、荒々しい足音がこだました。
(やっぱりあいつは、俺の気持ちに気づいていたんだ)
 土岐の顔をいまいましく思い浮かべて、早瀬はギリッと唇を噛む。自分の気持ちに振り回され、いっこうに落ち着かないでいる早瀬がおかしくて、ただその様子を楽しむためだけにからかっていたのだろう。そう考えれば何もかも説明がつく気がして、早瀬は怒りを抑えかねたまま、生徒会室が入っている特別教室棟の二階へと足を踏み入れた。
 真っ暗な廊下の奥に、ひとつだけ明かりが灯っている部屋がある。中からかすかに人の話し声が聞こえ、早瀬は迷わずその部屋に突進すると、「生徒会室」と小窓のところに張り紙された引き戸を勢いよく開いた。
 片側が生徒用の印刷室になっているため、スチール棚を並べて教室を半分に仕切っている狭い室内で、向かい合わせに置かれた古いソファに腰掛け、顔をつきあわせて何事かを話し込んでいた土岐と生徒会長の島村が、突然開かれた扉に反応してこちらを振り向く。
「あれ、A組の早瀬?」
 あまり馴染みない顔のいきなりの登場に島村が驚いた顔をしたが、それには目もくれず、早瀬は土岐を睨みつけるとずかずかと歩み寄った。
「お前……、一体どういうつもりなんだよ」
 目をつり上げ、精一杯押し殺した声で聞く早瀬に、土岐は何食わぬ顔で首を傾げてみせる。
「どういうつもりって?」
「一体なに考えて、昨日の夜あんなことしたのかって聞いてんだよ!!」
 自分はこんなに頭の中をかき回されて滅茶苦茶な気分なのに、土岐がいつも通り落ち着き払った顔をしているのがどうしようもなく癪に障った。まともに相手にもされてないようで、悲しくなる。
 悔しげに顔を歪める早瀬をじっと見詰め、視線を逸らさないまま土岐は「島村」と声を出した。
「悪いが二人にしてくれるか。さっきの話は今言った通りに頼む」
「わ、分かった……」
 二人のただならぬ気配に圧倒されていた島村はその言葉にこくこくと頷くと、怯えたようにそそくさと荷物をまとめて生徒会室を出て行った。「喧嘩はするなよ」と心配そうに最後に言われたが、穏やかに話し合うことなんて今の早瀬にはできっこない。余計な人間がいなくなった室内で改めて土岐と向かい合うと、胸に込み上げてくるのはただ無性に苛立つ心ばかりだった。
 座っている土岐の体に乗り上げるようにしてその襟元を右手でつかみ上げ、早瀬は残った片手で腹立ちまぎれにソファの背もたれを思い切り叩いた。
「お前、人のこと一体なんだと思ってんだよっ。ふざけるのもいい加減にしろ!」
「ふざける? そんなつもりは全くなかったんだが」
「とぼけんな! なら昨日のあれはなんだったんだ!?」
 激高して叫ぶ早瀬に、落ち着いた声で土岐が聞き返してきた。
「それならお前は、俺のことをなんだと思ってるんだ」
「……っ」
「ただの一時的な友人か、親友か、それともそれ以上の存在なのか? お前がそれをはっきりさせたくないと思っているように見えたのは、俺の錯覚か」
 思いのほか真率な眼差しで、土岐が問い詰めてくる。ずっと逃げ続けていた問題の答えを出すことを急に迫られた早瀬は、目を見開いて黙り込んだ。
「お前が望む関係を言ってみろ」
「……」
「お前は俺と、どういう関係でいるのが望みだ? それが言えたら、俺はお前の望むようにしてやるから」
 土岐との間に望む関係?
 問われても、早瀬の唇はわずかに動くだけで答えを紡ぐことがない。
 急に勢いをなくして言葉に詰まってしまった早瀬の右手に、土岐が手を重ねてきた。その体温に、昂ぶった気持ちまでもがあっけなく解けていってしまうようで、居たたまれなかった。
「だって……、わかんねえから」
 弱々しく早瀬は呟いた。
 この感情にどんな名をつければいいのか、早瀬には本当に分からなかった。
 今まで付き合ってきた女相手にだって、こんな気持ちを抱いたことはない。みっともなくて、馬鹿なことばかり仕出かしてしまって、理性も理屈も吹き飛ばしてしまうこんな気持ちをなんと表現すればいいのか、早瀬には分からなかった。
 もしかしたらこんな感情を愛とか恋とか表現するのかもしれないが、そんな甘ったるくて綺麗な言葉と、この感情が重なるものなのだろうか。
 早瀬は唇を噛んだ。いつまでたっても迷ったまま、踏ん切りをつけられないでいると、ふっと土岐が小さな吐息をこぼす。
「――仕方ないな。なら一度試してみるか」
「……は?」
 なにを? と戸惑った早瀬の背に、土岐の片腕がするりと回る。え、と思う間もなく体を引き寄せられ、早瀬はバランスを崩して倒れ込んだ。土岐にもたれかかってしまう直前にくるりと体の上下を入れ替えられ、気づいたときには、早瀬の体はソファの上に押し倒されていた。
「た、試すって、なにをだよ」
 どうしてこんな体勢になるのか分からず、落ち着きなく土岐の顔を見上げながら怖々聞くと、即座に答えが返された。
「つまり俺たちの間に友情以上の可能性はあるのか、手っ取り早くセックスの相性を試してみようということだ」
「せ……っ!?」

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