恋は語らず -Chapter.2-

21

「早瀬起きろ、学校に着いたぞ」
「……ん」
 頬を手の甲で軽くはたかれながら声を掛けられ、爆睡していた早瀬の意識はようやく覚醒した。だが寝足りない頭はまだ鉛のように重く、なかなか目を開くことができない。
 頬に当たる温もりがやけに心地よくて、起きるのがもったいなく思え、かえってもたれていた体により深く自分の体を預けようとし……。
 感動したような行成の声が聞こえてきて、ようやくハッと目を開いた。
「らぶらぶだー。どうしちゃったの二人とも、いつの間にかすっごいらぶらぶじゃん」
 え? と思いながら見張った視界の正面に、きらきらと瞳を輝かせながらこちらを見ている行成の姿が映った。そのさらに向こうには、無表情でこちらを見下ろしている春日井の姿もある。
 そして自分が誰かの体にもたれかかっていることを今さらながら自覚し、恐る恐る目線を上向けた早瀬は、すぐそこに土岐の顔を見つけて驚愕した。
 ガバッと弾かれたように身を起こして、早瀬は自分が4時間あまり、ずっとこの男の体をベッドに寝ていたことを知る。
(そういえば寝つく直前に、こいつが席を替わってきたような)
 だが、あまりの眠さに意識もおぼろで、よく覚えていない。高速道路のサービスエリアでとる休憩時間なども途中予定されていたはずだが、起こされた記憶もない。するとその間もずっと、土岐は早瀬の体を支えてじっとしてくれていたというのだろうか。
(な、なんで……?)
 思い掛けない土岐の親切を知って言葉もない早瀬の代わりに、ようやく体の自由を取り戻した土岐が、しびれた左肩を回しながら行成に答えた。
「寝椅子代わりになってやっていただけだ。昨夜こいつがよく眠れなかったのには、俺の責任がないわけでもないし」
「やっぱり昨日の夜、何か進展があったの!?」
 うわー、だったら頑張って起きてデバガメしてるんだったー! と悔しそうに叫んだ行成が天を仰ぐのと同時に、開かれたバスの扉から大塚が顔を出して怒鳴る。
「おい、お前らいい加減バスから降りろよ! 解散するぞ」
 気づけば車内には馴染みの四人以外、誰の姿も無い。春日井以外のバスケ部員は全員バスを降りて、てんでに話したりしながら校門前に集まっていた。大塚の呼びかけに応えて、早瀬以外の三人もさっさとバスを降りて行ってしまう。
 ひとり何の支度もしていなかった早瀬は、慌てて棚から荷物を下ろし、バスを降りた。するとそれを待っていたかのように、バスケ部員たちが口々にからかい混じりの声を掛けてくる。
「お、早瀬ようやく起きたか。よく寝てたなー、土岐の体にのしかかって」
「赤ん坊のように無邪気な顔で寝てたぞ。いやぁ、土岐があんなに面倒見がいいとは意外だった」
 どうやら寝ている間の姿は全員に見られてしまったらしく、話に加わってこない部員までもが、にやにやしながらこちらを見ている。思わぬ失態に頭に血が上り、「タダで見てんじゃねーよ!」と早瀬が友人たちにわけの分からないいちゃもんをつけていると、全員が揃ったことを確認した梶間が、だみ声を張り上げて号令を掛けた。
「じゃあ、本日はここで解散だ! 合宿お疲れさん。明日からは新学期だ。また気合い入れてけよー!」
「お疲れっしたー!!」
 バスケ部員たちが一糸乱れずに梶間に向かって頭を下げ、その瞬間合宿と冬休みが同時に終わりを迎える。もうとっくにあたりは真っ暗で、挨拶をするなりバスケ部員たちは口々に別れを告げながら、散り散りに家路についた。
「じゃ、俺たちも帰ろっか」
 行成がそう言って四人の足が駅に向かいかけたとき、間近で携帯の着信音が響いた。反射的に早瀬は荷物の中を探りかけたが、土岐がコートのポケットから携帯を取り出す姿を見て、鳴っているのは自分の携帯ではないことを悟り、「なんだ」とまたゆっくり歩き出そうとする。
 しかし通話ボタンを押した土岐の第一声が耳に届いた途端、早瀬の足は動くのを忘れてしまった。
「もしもし? ああ、市村さん」
 合宿中のハプニングの連続で束の間忘れかけていた名前が聞こえ、早瀬は土岐のほうを振り向いた。愕然とした顔で見詰める早瀬に気づいているのかいないのか、土岐はいつも通り、ごく親しげにアカネと会話をしている。
「――その件なら、明日にでも全員に発表をと考えていたんだが。なんなら一緒に発表するのもいいし」
 ――は、発表? 発表ってなんだ!?
 思わせぶりこの上ない発言に、呼吸が止まった。
 結婚でもするつもりなのかこいつらはと思い、この年でそんな馬鹿なことがあるかとすぐ否定し、しかしアカネとは長いつきあいにしたいと言っていた土岐の言葉が脳裏に蘇って、またパニックに陥る。
 いったい土岐がどういうつもりでいるのか、早瀬にはまったく理解できなかった。
「とにかく一人では決められないことだから、明日にでも改めて連絡する」
 そう言って通話を切ると、土岐はほとんどの灯りが落ちている校舎を見上げ、次いで腕時計に視線を落とした。
「六時半過ぎか。明日は生徒会も色々忙しいだろうし、島村はまだ残っているかもしれないな……」
 思案気にそう呟くと携帯をポケットにしまい、荷物を肩に担ぎなおす。
「悪い、ちょっと用事ができた。俺は生徒会室に寄って行くから、お前らは先に帰ってくれ」
「って、おいちょっと!」
 一方的に言われ、思わず呼び止めた早瀬に「明日またな」とだけ告げて、土岐はさっさとひと気のない校舎へと入っていってしまった。取り残された早瀬が放心していると、すぐ横でしかつめらしい顔をした行成が顎に手を当て、意味不明な分析を始める。
「うーんと、つまりこれはアカネちゃんが正妻で、早瀬は日陰の身の愛人ってこと?」
「……」
 土岐が発表がどうとか言っていたことからそこまで曲解したようだが、その一言がずっと早瀬の胸の奥でくすぶり続けていた苛立ちを一気に爆発させた。
 土岐が何を考えているのかは分からない。だが何も言われないまま、いいように振り回されるのはもう御免だった。
「あれ、早瀬どこ行くの?」
 物も言わず急に校内に向かって歩き出した早瀬に驚き、行成が声を掛けてきたが振り返りもせず、早瀬はより一層足を速めた。

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