恋は語らず -Chapter.2-

16

 あまりに強烈な光景を目撃してしまい、早瀬を含めた一般人たちはすっかり精気を奪われてしまったため、結局合宿最後の練習はそこでお開きになり、全員そろって合宿所に引き上げた。
 早瀬が額に脂汗をかきながら切った不格好な野菜はバスケ部員たちに酷評され、土岐が手際よく作った肉団子のうまさにみんな舌鼓を打ち、行成が土岐に指示された通りに取った出汁は必要以上に春日井に絶賛されながら、早めの夕食は楽しく終わった。
 後片づけはバスケ部の一年生がしてくれるというのでありがたく任せることにして、三人はいったん部屋に引き上げた。室内に入るとすぐさま行成がクローゼットの扉を開き、中をゴソゴソと探り出す。早瀬は首を傾げた。
「おい、何やってんだ?」
 声をかけると、行成がクローゼットの中から取り出した何かを投げて寄越す。反射的に受け止めたそれは、藍色の浴衣だった。
「早瀬ももちろん着るんでしょ?」
 言いながら、続けて小さく畳まれた帯と、丹前までぽいぽいっと投げてきた。
「この施設、外部の人も利用できるようになってるせいかな。ちゃんと一式そろってるんだね、らっきー。はい土岐にも」
「ああ、悪い」
「お風呂、やっぱり温泉らしいよ。お湯が黄色いんだって。混んでくる前に入っちゃおうよ」
 うきうきと弾んだ声で、行成が早瀬の背中をぐいぐいと押してくる。まだ何の用意もしていなかった早瀬は、驚いてその場に踏みとどまろうとした。
「ちょっと待て。まだバスタオルも下着も荷物の中に入ってんだぞ。このままで行けるかっ」
「もー、早くしてよ。ほら、土岐も」
「そんなに焦らなくても、バスケ部はこれからミーティングだと言っていたから、当分風呂はがら空きのはずだぞ」
「だからミーティングが終わる前に入っちゃいたいんじゃん!」
 なんだか分からないがやけに張り切っている行成に先導され、取るものも取りあえず、三人は地下にある大浴場へと向かう。ところが男湯の暖簾をくぐって脱衣場に入った途端、行成が「あ、忘れ物してきた!」と叫んだ。
「俺ちょっと部屋に取りに行ってくるから、先に二人で入ってて」
「あ? ああ……」
「しばらく戻ってこないから、どうぞごゆっくりー」
 言いながらひらひらと手を振ると、さっさと脱衣場を出て行ってしまう。あまりの慌ただしさに呆気にとられて、早瀬は数秒その場に突っ立ってしまった。土岐が「どうした」と問い掛けてくるのに、「いや……」となんとなく首をひねりながら、着ていたジャケットを脱ぎ落とす。
 早瀬のすぐ側に脱衣カゴを置いた土岐も、身につけていたセーターを無造作に脱ぎ捨てた。それを見た瞬間、この場に土岐と二人きりで取り残されてしまったという事実を、雷に打たれたように早瀬は理解した。
(わ、わざとか!? ユキっ)
 仲人よろしく、早瀬と土岐を二人だけにするためわざと行成が姿を消したのだということに気づき、早瀬は狼狽した。
 にわかにおろおろし出す早瀬の視界の片隅に、シャツに手をかけ、胸元のボタンを外そうとしている土岐の姿が映る。慌てて早瀬は土岐の姿が見えないように、首を反対方向に曲げた。
 着替えている土岐の姿なんて、この二年間、体育の授業があるたびに何度も見た。水泳の時間でさえ、当たり前に一緒にこなしてなんとも思わなかった。だが今は、なんで自分がなんとも思わないでいられたのか、そのこと自体が分からない。
 互いにパンツを脱ぐところまではとても一緒にいられなくて、早瀬は電光石火の勢いで身に着けたものをすべて脱ぎ捨てると、タオルだけひっつかんで、逃げるように浴室に飛び込んだ。
 浴室内には白い湯気が立ちこめ、温泉の刺激臭がわずかに鼻孔をつく。片側の壁面にずらりと取りつけられた蛇口の前に陣取るや、早瀬は躍起になって体を洗い出した。シャワーからジャバジャバと熱いお湯を出し、備え付けのシャンプーボトルのポンプを闇雲に押してガシガシ頭を洗っていると、すぐ隣の蛇口の前に誰かがカコンとプラスチックのイスを置き、座る気配がする。
 全身泡だらけのまま、早瀬はピタリと動きを止めた。「誰かが」といっても、今入ってくる人間は一人しかいない。シャンプーの染みる目をわずかに開き恐る恐る傍らを見ると、そこには案の定、タオルをお湯に浸している一糸まとわぬ土岐の姿があった。ちょうど目線の位置にくっきりと浮き出た鎖骨があって、早瀬はうっと息を呑む。
 自然と視線が下へ下へと向かいそうになって、早瀬はあらん限りの自制心で自分の欲求を抑え込んだ。
 頭の奥で警鐘がガンガンと鳴る。少しでも頭を冷やそうと冷たい水で泡を洗い流しながら、いくらなんでもこの状況はまずいだろうと、早瀬は他人事のように思った。血迷って何をしてしまうか、自分でも分からない。

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