恋は語らず -Chapter.2-
13
「えー、もう夕食の支度を始めるの? まだ三時じゃん。ちょっとのんびりしてからにしようよー」
大塚に教えられた部屋は、半畳ほどの
三和土
の先に六畳ほどの座敷が続く、こぢんまりとした和室だった。多少手狭ではあるが、途中参加の三人のために、一室用意してもらえただけで破格の扱いと言えるだろう。
荷物を置き上着を脱いで、さてお茶でも、とくつろごうとするのを押しとどめ、すぐに台所に向かおうとした土岐に、行成が抗議の声を上げた。確かに食事の支度を始めるには早すぎるような気がして、早瀬も腰を上げるのをおっくうがっていると、土岐が冷たい目でじろりと二人を睨みつけてきた。
「仮に俺が三人いたなら、たしかに六時から作り始めても七時には夕食にできる。だが、お前らがどれだけ俺の足を引っ張ってくれるか分からない以上、今ゆっくりしていられるような時間は残念ながらない」
「じゃあ、お前一人でやってくれれば……」
普段家事をやらないものの気楽さで、早瀬が何気なく口にしたとたん、土岐の眼が冷たさを増した。口調と表情はあくまで穏やかさを保っているのが、かえっていっそうの恐怖心をあおる。
「それで? 俺一人に全て任せて、お前らは遊んでいるつもりか。随分いいご身分だな、早瀬」
「え、えーと……」
蛇ににらまれた蛙のごとく、冷や汗を垂らしながら早瀬がモゴモゴと口を動かしていると、有無を言わさず土岐が立ち上がった。
「高二にもなって、メシのひとつも作れない情けないお前らに、この機会に少しは料理を仕込んでやろうと言うんだ。ありがたく思っておとなしく従え」
「……はい」
返す言葉もなく、早瀬と行成は頭を垂れ、頷いた。
その後はできの悪い子供のように、ダシの取り方はおろか、包丁の握り方すらろくに知らない二人に土岐が淡々とやり方を教えながら、夕食の準備が進められた。
買い出しに行ったばかりなのか、食材こそ豊富に用意されていたが、さすがに28人分の食事の支度は半端な手間ではなく、ビリビリするほど冷たい水で不器用に米を研ぐ右手が感覚をなくしていくのに耐えながら、早瀬は家事というものの大変さを初めてその身で思い知った。
それでもなんとか材料を全て切り終え、鍋にダシも張って、後は火にかけるだけとなったところで、三人は夕食の準備が整ったことを知らせに体育館へと向かう。土岐の指図がうまかったからだろうか、早瀬や行成の手際の悪さにもかかわらず案外早く調理は進み、外はまだほのかに明るかった。
付近は観光スポットとしてだいぶ整備されているようで、小砂利の敷き詰められた道は歩きやすい。暮れゆく空の彼方、影を帯びた林の上を滑るように飛んでいく小鳥のさえずりが、長く伸びて消えていった。
高原の景色を楽しみつつ、吹きつける木枯らしに凍えながら案内板の指示に従って進むと、ほどなく円形に湾曲した体育館の黒い屋根が見えてきた。
いくぶん小さめの造りだが、外壁に木材がふんだんに使われた建物からは温もりが感じられ、本校にある無機質な体育館よりもよほどいい雰囲気を出している。
「たのもー!」
履き違えた挨拶をしながら行成が体育館の扉を開けると、中で練習していたバスケ部員たちがいっせいにこちらを振り返った。練習の熱気のせいなのか、館内に三つも設置されているストーブのためか、館内は思ったより暖かく、部員たちもみな全身に汗をかいている。
「春日井、ごはんできたよ」
コートの中で動き回っていた春日井に行成がにこにこと手を振ると、練習中であるにもかかわらず、行成を中心に世界が回っている男は素早く近づいてきた。周囲の部員たちも「ごはん」の一言を聞きつけ、顔を輝かせる。
強引に合宿に途中参加して
顰蹙
を買ったとはいえ、バスケ部の今の主力はほとんどが早瀬たちと同じ二年生だ。見知った顔の部員たちがわらわらと集まり、声をかけてくる。
「おっす、ようやく来たな美術部。今晩のメシは何だ?」
「こんなのんびり来てどうすんだよ、合宿終わっちまうぞー」
合宿も終盤にさしかかり、新しい刺激によほど飢えていたのか、次々に話しかけてくる友人たちに囲まれ、早瀬は呆れて言い返した。
「なに言ってんだ。そもそもおまえら、俺たちが参加するのを嫌がってただろうが」
「そりゃあ、厳しい練習に必死で喰らいついてるとこに、遊び気分のやつらが参加してきたら誰だって嫌がるっつの。おい土岐、お詫びにせめて冬休みの宿題写させろよ」
「別に構わないが、丸写しはするなよ。俺まで怒られる」
どうせそんなことを言われるだろうからと、荷物の中に解答済みの宿題を入れてきたことを土岐が教えると、勉強には手つかずのまま合宿に参加していた部員たちがこぞって歓声を上げた。
それを見ていたバスケ部顧問の梶間が、苦笑しながら手近な二三人の頭を軽くはたいてたしなめる。
「お前ら、教師の前でそういうことを言うとは、いい度胸だな。ほら、まだ練習中だぞ! コートの中に戻れ」
両手の平をバンバン叩いて梶間が怒鳴ると、早瀬たちの登場ですっかり気が緩んでいた部員たちが、慌てて駆け出した。それを見送ってから、ふと思いついた顔で、梶間がこちらを振り返る。
「せっかく来たんだし、おまえらもちょっとゲームに参加していくか?」
「いや、俺たちはしんどいのが苦手だからいいです」
正直すぎる答えを早瀬が返した瞬間、数学科のくせに熱血体育教師の魂を持つ梶間のこめかみがぴくりと引きつった。土岐が横で小さく「馬鹿」と呟く。
しまった、もうちょっとうまい言い方を考えるべきだったと早瀬が今更後悔していると、案の定、梶間がコートを指差しながら怒りの指導をしてきた。
「それだけガタイに恵まれていて、情けないことを言ってるな! おい桜井、辻、コートから出てこいつらと交代しろ。おまえら、ちょっと美術部を揉んでやれっ」
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