恋は語らず -Chapter.2-

9

 週が変わり月曜日。休み明けの気だるい授業が終わり、担任の解散の声がかかると、いつも通り土岐はすぐに席を立った。しかしいつもと違ってすぐに帰ろうとはせず、荷物を机に置いたまま、同じく授業が終わったばかりの隣の組にスッと入っていく。
 隣に一体なんの用事があるのだろうと気になりはしたが、どうせ今日も部活に顔を出すつもりはないのだろうと、早瀬が行成とともに美術室に向かおうとすると、廊下で隣の教室から出てきたばかりの土岐と出くわした。その背中ごしに生徒会長の島村の姿がチラリと見え、早瀬は少し驚く。
「島村に用事があったのか?」
 窓際の席で熱心に何事かメモを取っている島村の横顔を見ながら聞くと、土岐は「ちょっとな」とだけ言い、教室に戻って行った。そして自分の荷物を手にすぐまた早瀬たちに追いつき、そのまま肩を並べて歩き出す。途中で別れてアカネのもとに向かうのかと思いきや、澄ました顔で美術室のあるふたつ上の階まで一緒についてきた。
「今日は八角に行かないの?」
 よどみないその足取りに不思議そうに行成が聞くと、「今日は委員会の緊急会議がある」と校内に留まっている理由を教えられた。だがその答えに、早瀬も行成もそろって首を傾げる。
「緊急会議って、委員長会議のか?」
 土岐は文化祭実行委員会に属し、委員長を務めている。学校側からなにか特別な連絡事項があったときなど、各委員会の委員長だけをまず集めて緊急の連絡会議が開かれることもあるので、てっきりそれのことを言っているのかと思って聞いた早瀬に、土岐は首を横に振った。
「いや、 文化祭実行委員(ブンジツ) だけの単独会議だ」
「なんでこの時期に、ブンジツの会議が緊急であるんだよ?」
 この星辰高校では、生徒会以外の普通の委員会は二期制であり、四月と九月にそれぞれ上半期と下半期の委員が各学年、各クラスから規定の人数だけ選出される。
 だが一年に一度の生徒会選挙を実施する選挙管理委員会、そして同じく一年に一度しかない文化祭を運営する文化祭実行委員会のみ、二期制にすると引継ぎなどによけいな手間がかかるだけで、効率的でないという理由で、例外的にその任期は一年間と定まっていた。
 土岐も今年の四月に委員になって以降、未だに変わらず文化祭実行委員のままだ。
 夏休み中などはそれなりに多忙だったようだが文化祭自体は今年の九月にとっくに終わっており、祭りが終わってしまいさえすれば残りの主たる仕事は次期委員への引継ぎくらいしかないこの委員会は、冬休み前後のこの時期などもっとも暇であるはずだった。
 そんな中、いったい何を会議するのかと怪訝な顔をするふたりに、土岐は「急な動きがあったんだよ」と答えともつかないことを言っただけだった。そして美術室につくや荷物だけを下ろし、そのまま委員会に向かってしまう。
 どうやら美術室へはただ荷物を置きに寄っただけと分かり、結局今日も別行動かと、何となく取り残されたような気分を早瀬が味わっていると、椅子に腰を下ろした行成が話しかけてきた。
「ねえねえ、早瀬、俺考えたんだけどさ」
「……なにを?」
 早瀬を見上げる行成の目は、なにかを企むようにキラキラと妙に輝いている。嫌な予感を覚えて早瀬がじりじりと身を引くと、それを追ってぐいっと行成が身を乗り出してきた。
「冬休みに入ったら、バスケ部が軽井沢に合宿に行くんだって」
「ああ、そうらしいな」
 ちょっと前にも、帰り際に土岐がそんなことを言っていた。思い出して相槌を打つ早瀬に、行成は弾んだ声で思いがけない提案をしてきた。
「それでさ、その合宿に俺たち美術部もついてかない?」
「はぁ!?」
「どうせうちの部活三人しかいないし、合宿に潜り込ませてもらおうよ。冬の軽井沢にスケッチしに行くってのもありじゃん」
「『ありじゃん』ってお前、バスケ部は真面目に練習しに行くんだぞ。そんな中に俺らがお遊びで交ざれるかよ。大体スケッチしに行くったって、冬の軽井沢なんて寒くって、まともに絵なんか描けたもんじゃないだろうが」
 そもそも今まで美術部で合宿どころか、日帰りのスケッチ旅行にも行ったことがないのに、いったい何をどうしたらそんな話になるんだと、早瀬は呆れかえった。しかし行成の本来の思惑は、まっとうな部活動とははるかに隔たったところに存在していた。
「だからそれはもちろん建て前の話で。真の狙いは早瀬の悲惨な恋心が少しは報われるように、土岐とふたりっきりで過ごす時間を少しでも提供してあげようという」
「はぁあ!?」
「だっていっしょに旅行すれば、土岐と寝食をともにできるんだよ? 手をつないで散歩だってできるし、土岐の生着替えも見放題、お風呂にもいっしょに入れるし、夜はスケベ話で盛り上がって、そのままベッドになだれ込むことだって……」
「あるかいっ!」
 天使のような顔いっぱいに無邪気な微笑をたたえ、つぶらな瞳を輝かせながら品のないことをまくし立ててくる行成の頭を、早瀬はこらえきれずにバコリと殴って黙らせる。
「あいたっ!」
 容赦ないその力に悲鳴が上がった。痛そうに頭をさすりながら、不満そうな顔で行成は力いっぱい抗議してくる。
「なんだよー、早瀬だって本当はいちゃいちゃしたいくせに。そうやって自分の感情を認めないから、土岐にだってまともに相手にされないんだぞ。あげく掌の上でコロコロ転がされて、なにもかも土岐の思い通りに進んだらつまらないじゃんかー! 俺が!!」
 後半部分なにを言っているのかよく分からなかったが、煮え切らない態度を頭ごなしに責められて、早瀬は一瞬ぐっと言葉に詰まった。しかしすぐ迷いを振り切るように怒鳴りつける。
「そもそも相手にされてねえよ!」
「そんなの分かんないじゃん!!」
 行成も椅子を蹴って立ち上がった。身長差をものともせずに早瀬を強い瞳で睨みつけ、互いに一歩も譲らずに向かい合う。
「だいたいもう土岐には彼女がいるだろうが! それを横から手ぇだして何かいいことあんのかよ!? 気味悪がられんのが関の山だ」
 あくまで悲観的な早瀬の言葉に、行成が切れた。
「あったま来た! 自分の器が小さいからって、土岐を同じレベルに持ってくるのやめてくんないかな。早瀬みたいな腰抜けに告白されたって、土岐が怯んだりするわけがないもん」
 腰抜け呼ばわりされた早瀬の頭の血管も、二三本まとめて弾け飛ぶ。
「普通男が男に惚れられたら、引いちまうもんなんだよ! 自分が春日井と平気で付き合ってるからって、お前こそ何でもかんでも自分と同じレベルに持ってくんな!!」
「じゃあいいよ! 土岐がどんなヤツか、実際に試してみれば分かるから。合宿中に早瀬が土岐に告白して一言でも『気持ち悪い』って言われたら、俺だって謝るよ!!」
「……へ?」
 おいちょっと待て、何だその条件は!? と早瀬に突っ込む隙を与えず、行成が言い募る。
「もし言われなかったら、早瀬ももう男同士だからとか言ってないで腹をくくること! 毎日毎日悶々としてて、いい加減うっとうしいんだよ」
「ちょっと待て、いつの間に合宿が決定事項になったんだ! それにお前に謝られたところで、俺に何かいいことが……」
「分かったね! 絶対だよ!!」
 ビシッと早瀬の鼻先に指を突きつけると、行成は勢いよく美術室を飛び出して行ってしまった。ひとり取り残された早瀬は、開け放たれた扉を見つめて呆然とする。
「――土岐に、告白、する?」
 行成にたった今一方的に決められてしまった約束事を、口の中で繰り返す。そしてザッと蒼褪めた。
「ありえねえよ……」
 たった一人の静まり返った部屋の中、途方に暮れて早瀬は頭を抱え込んでしまった。

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