恋は語らず -Chapter.2-

7

 その日の翌日も、さらにその次の日も土岐は部活を休み、アカネのいる八角学園へと出かけて行った。授業終了後すぐに席を立つ土岐の背中を見送るたび、表現しがたい胸苦しさに襲われるので、早瀬はここ二三日で放課後がすっかり嫌いになってしまった。
 いっそ自分も外で遊べば多少は気が晴れるのではないかと思うのだが、どうにも腹に力が入らず、つい意味もなくだらだらと校内に居残ってしまう。結局その日も早瀬は美術室で悶々としながら、たった一人で放課後を過ごしていた。
 小さな木の椅子に浅く腰掛けながら汚い作業台に顎を引っかけ、体をくの字に折り曲げただらしない格好で放心すること約四〇分、体育館に春日井の練習を見て来ると言って出かけていた行成が戻ってきた。
 美術室の扉を開けたとたん、部屋の電気もつけないで抜け殻のように放心している早瀬の姿を見つけ、ちょっと驚いたように足を止める。
「なにしてんの、早瀬。今日もへこんでるの?」
 ここ数日、放課後になれば極度に落ち込んでしまう様子を、行成にはすべて見られてしまっている。今さら取り繕う見栄も気力も残っておらず、うっそりとした眼差しを一瞬だけ行成に向けて、早瀬はすぐまた視線を下に落としてため息をついた。
 そこには女の子たちと毎日楽しく遊んでいた頃の、華やかな面影は欠片もない。ぱちりと電気をつけ、着ていたコートを脱ぎながら、そんな早瀬の姿に行成はつくづく感心したように首を振った。
「早瀬って本当に土岐のことが好きだったんだね。俺ちょっと軽く見てたかも」
「……そんなんじゃねえ。ちょっと腹具合が悪いだけだ」
「ふうん、そう?」
 机に向かって喋っているため、少しこもる声でかろうじてそんな強がりを言ってみせたものの、覇気のなさは覆いようもない。
 そんな早瀬に多少なりとも同情しているのか、珍しく追い討ちをかけるようなことは言わず、行成は荷物を置くと壁際の棚から自分のクロッキー帳と木炭を取り出した。久々に美術部らしく、真面目にデッサンに取り組むつもりでいるらしい。
 大きなクロッキー帳をイーゼルの上に載せ、木炭を包む銀紙を指先で破りながら、ふと思い出したように「そういえば」と行成が語りかけてきた。
「さっき体育館に行く途中に、玄関で土岐とすれ違ったんだけどさ」
「……」
「今日は珍しく島村と一緒だったんだよね。どうしたんだろう?」
「……知るかよ」
 いったい何を言い出すのかと緊張して顔を上げた早瀬だが、どうでもいいような話題にまたガックリと沈没してしまう。
 島村は隣の組の生徒で、この十月から星辰高校の生徒会長を務めている男だ。いろいろと面倒な仕事が多いだけでうまみは少ないと、今どきのドライな生徒たちには敬遠されがちな生徒会を生真面目にまとめており、教師からも同級生からも厚い信頼を寄せられている、朴訥で気のいい男である。
 とはいえ、早瀬たちは三人とも生徒会には関わっていないし、クラスも違うので、彼とこれといった交流はない。その島村と土岐という取り合わせの奇妙さに行成は疑問を抱いたようだが、わざわざ気にかけるほどのことかと、早瀬は面倒くささを隠さずにボソリと言った。
「たまたま帰りが一緒になっただけだろ。クラスが違ったって、合同の体育の授業なんかではたまに話すこともあるし。土岐と島村が一緒に帰ってたのが、そんなに言うほど珍しいことかよ」
「まあそうなんだけどね。でも生徒会がこんなに早く終わるのも珍しいなぁ」
 細長い木炭を眼の前に垂直にかざし、デッサンする石膏像全体のバランスを測りながらも、行成は考え込むように言う。かと思えば、いきなりパッとこちらを振り向いて、早瀬が今もっとも聞きたくないと思っている名前を出してきた。
「そうだ、生徒会といえばさ。土岐から聞いたんだけど、あのアカネちゃんも八角の生徒会長なんだって。早瀬は聞いてた?」
 聞いていない。それどころか土岐が八角に通うようになってからというもの、腹の中に屈託を抱えてしまった早瀬は、彼とろくに会話すら交わせずにいた。
「見た目はいまどき絶滅危惧種の大和ナデシコだし、生徒会長ならきっと勉強もできるんだろうし、才色兼備なんだねー。こりゃもう勝ち目は九九.九九%ないだろうけど、がんばって、早瀬!」
「……」
 両手を握りしめて応援されたが、こんな言われ方では勇気づけられるどころか、むしろへこむ。答える気力も失って、早瀬が額をゴリゴリと作業台にこすりつけていると、ふいにガラリと美術室の扉が開かれた。

-Powered by HTML DWARF-