恋は語らず -Chapter.1-

13

「春日井―――!!」
 闇雲な焦燥に駆られたまま、早瀬は威嚇するように春日井を怒鳴りつけた。眉ひとつ動かさずにその恫喝を受け流し、春日井が腹にしみるような低い声で聞いてくる。
「なんですか、早瀬先輩」
「な、なんですかって、お前……」
 ――そういえば間抜けなことに、続けるべき言葉が思いつかない。今まで二人が何を話していたのかも知らないのに、土岐に手を出すなと言うのも変な話だ。
 異様な迫力でこちらを見下ろしてくる春日井に圧倒され、早瀬の頭に昇っていた血が、すとんと一気に足もとまで下がった。
 言葉を探してにわかに焦りだした早瀬のすぐ横の窓からは、一階に教室のある三年生たちが顔を出し、面白そうに事の顛末を見守っている。もちろん二階三階の窓からも他の学年の生徒たちが顔を出して騒いでおり、その数は昨日よりも多いほどだった。
 なにしろ昨日の行成に入れ替わるように、校内名物の美術部トリオの残り二人が、問題の一年生、春日井とにらみ合っているのだ。一体何が起こるのかと、ことの次第を見守りたくなるのも道理である。
 そんな物見高い外野には目もくれず、春日井は昨日全校生徒をたじろがせた鋭い眼差しで、早瀬を問い詰めてきた。
「いま土岐先輩から、俺と付き合うことをやめるようあなたが安永先輩を説得したと聞いたんですが、それは本当ですか」
 押し殺した声の中に、激しい怒りが潜んでいるのが分かる。けおされて、早瀬はつい二三歩後退してしまった。自分より背の高い人間と向き合ったこともあまりないのに、上方から凄味のある三白眼で睨みつけられるのはかなり利いた。
 後ずさったことで、早瀬の背中がすぐ後ろに立っていた土岐の体にぶつかる。見れば、庇おうとしたはずの土岐のほうが早瀬よりも明らかに落ち着いていて、ビリビリと伝わってくる春日井の怒りにも動じるそぶりがない。平静きわまりない顔で、友人に助け舟を出すでもなく、ただ腕を組んで立っている。
 そんな二人に挟まれてしまった早瀬はどうすればいいのかわからなくなって、おろおろと前を見たり後ろを見たりと、落ち着きなく目線をさ迷わせるばかりだ。あっという間に、完膚なきまでに気勢を削がれてしまっている。
「早瀬先輩、本当ですか?」
 追求を弱めずに、春日井が早瀬に詰め寄ってきた。嘘をつく勇気もなく、顔を引きつらせながら早瀬がほんのわずか頷くと、突然大きな手にぐいっと襟首を掴み上げられる。咄嗟に上げてしまいそうになった悲鳴を、早瀬はすんでのところで押さえ込んだ。
「余計なことを、してくれましたね」
 殴られるかと思ったが、春日井もそこまではせず、早瀬から手を離すと踵を返した。どこかに向かおうとしたその歩みは、しかし二歩と進まぬうちに止まる。
「――安永先輩」
 驚きに見開かれた春日井の視線の先に、昇降口の扉の陰に身をひそめ、こちらの様子をうかがっている行成の姿があった。飛び出していった早瀬が何をするつもりなのか気になって、思わずついて来てしまったらしい。
 一瞬動きを止めた春日井が、行成のほうに向かって再び歩き出した。ゆっくりと一歩ずつ近づいていきながら制服のポケットに片手を突っ込み、中からいつもと同じ白い封筒を取り出すと、それをそっと行成に差し出す。
「これ、今日の分の手紙です」
 手紙を見ても、行成はすぐ受け取ろうとはしなかった。ただ唇を噛み、耐えるように顔をうつむけている。
「安永先輩……」
 先ほど早瀬に向けて放射された迫力が嘘のように、まるで懇願するような響きで、春日井が行成の名を呼んだ。行成がもう一度強く唇を噛む。そして断ち切るように言った。
「俺、もうおまえからの手紙は受け取れない」
 春日井の表情がわずかに歪んだ。差し出した手紙はそのままに、行成に問う。
「なぜです。俺はなにか、先輩の気に障るようなことをしてしまったんですか」
「そうじゃない。ただ俺はこれ以上、自分の勝手でお前を振り回したくないんだよ」
「振り回した? 先輩がいつ、俺を」
 本気で分からないのだろう。春日井が困惑に眉を寄せる。
「気づいていないかもしれないけど、俺がお前の頭をなでたり、膝枕させたりしている間に、少しずつお前は自分の中にストレスをためているんだ。それでいつかぽっくり逝っちゃうんだ、大輔みたいに!!」
「大輔? 誰のことです」
 血を吐くように行成が叫んだがその意味が通じるわけもなく、ますます春日井の眉間の皺が深くなる。鈴なりになっていた外野たちも、漏れ聞こえてくる会話の内容に、不思議そうにそろって首をひねった。
「なんで頭を撫でたり膝枕をさせたりすると、ストレスがたまるんだ?」「いや、野郎同士でいちゃつけば、普通たまるだろう」「でも、誰がどう見ても喜んでやっていたよな、春日井は」「まあ、そこはほら、行成の理論だから。オレたち常人には理解できないのも仕方ない話だ」
 好き勝手に騒いでいる外野の声は無視して、春日井がもう一歩行成に近づいた。
「なんのことか分かりません。どうして俺が死ぬんです。見てのとおり健康そのものですよ、俺は」
「……大輔だって死ぬ直前までそうだった」
「だから、大輔っていったい誰なんです」
 春日井の声が苛立ちを含んでわずかに荒っぽくなる。大輔の正体が分からないまでも、それが行成にとって大切な存在だったことを敏感に感じ取ったらしい。その態度はまるで、大輔に嫉妬しているように見えた。
「春日井、大輔に妬いてるの?」
 行成にも、春日井の苛立ちは伝わっている。聞かれた春日井は、素直に頷いた。
「春日井、俺のことが好き?」
 またひとつ、頷く。
「いつから、どんな風に好きなの? それは俺に惚れているってこと?」
「……手紙を一通交わすごとに、少しずつあなたのことを知って、どんどんあなたのことが好きになりました。安永先輩と一生一緒にいたいと初めて思ったときから、俺の心のすべては、先輩のものです」


ひぃい――――――――――――!!!!!


 まっすぐ見つめあう二人をよそに、てらいのなさすぎる春日井の告白を聞いてしまった全ての生徒が、赤くなったり青くなったり真っ白になったりと、とにかく顔色を変えて悶絶した。
 ふたりの間近にいた早瀬も、春日井の巻き起こした絶対零度の寒さをこらえることができず、土岐にすがりつくようにしてへたり込む。
 行成だけが真剣な、そして悲しそうな表情で、春日井の言葉を受け止めていた。そしてふいに首を強く振ると、泣きそうな顔で叫んだ。
「やっぱりダメだ。俺、もうお前とは付き合えない!」
 悲痛な声を置き去りにして、ダッシュで春日井の前から走り去る。あっという間に小柄な体が昇降口の向こうに見えなくなった。
「安永先輩!」
 すぐさま春日井もそのあとを追いかける。後方からその姿を見送る早瀬の目は、しっかりと二人の足元を捉えていた。……二人とも土足のまま校舎に上がって行った。しかしサンダル履きのまま校外に出ている自分には、何も言うべき言葉はない。
「どうするんだ? 追いかけるのか」
 ドタバタと落ちつかない友人たちに、いい加減面倒くさそうな顔になりながら、土岐がもうどうでもいいと言わんばかりの少々投げやりな口調で、早瀬に聞いてきた。
「そりゃまあ、でもやっぱ、気になるし……」
 春日井の告白には心底引いてしまったが、それでもここまで来ると、事の顛末を確かめることに、なにやら義務感めいたものまで感じてしまう。昇降口の泥落としで申し訳程度にサンダルの裏をこすると、早瀬は校内に入った。だいたいこうまで振り回されて、二人の行き着く先を見届けないのも、不本意な気がした。
 そればかりは同感だったようで、しかたなさそうに短いため息をひとつつくと、土岐もまた外履きを自分の靴入れにしまい、かわりに校内用のサンダルを取り出した。

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