恋は語らず -Chapter.1-
11
「うん。いくら男子校だからって、そんなお手軽じゃないよ、俺も春日井も」
けらけらと笑う行成の頭に、こらえきれず早瀬は平手を見舞った。
「ってー! 何すんだよ、野蛮人。ノータリン!」
「グーじゃなかっただけ文化的だと思え。お前こそ何だ、その死語は! ――今まで散々紛らわしい言い方しやがって……っ。それならそうと、すぐ言えばよかっただろうが」
「だって先のことなんか誰も分かんないじゃん。この一二年で、何人の女優さんやアイドルが電撃妊娠して、結婚しちゃったか覚えてる? 俺もいつかいきなり妊娠して結婚しちゃうかも……」
「するかっ! だから、男だ、お前は!!」
叩きつけるように言った早瀬に、不満げに行成は唇を尖らせた。乱れてしまったその猫っ毛を指先で軽く直してやりつつ、土岐も話に加わる。
「しかし、手紙を最初に渡した時点では春日井も純粋にお前と親しくなりたいだけだったろうが、今はどうなんだ? どうも俺から見ると、あいつはもっと熱い感情でお前と接しているように見えるんだが」
たしかに、と早瀬も頷いてしまう。はじめの思い込みだけで、春日井が行成に恋心を抱いていると、土岐も早瀬も信じ込むわけが無い。
思考回路が常人とはかなり異なる行成はともかく、普通の男が少し気に入っているだけの男に、公衆の面前で膝枕をしてやるはずがないのだ。……春日井も普通と言い切るには少なからず抵抗のある男だが、それはまあそれとして。
尋ねられた行成は大して考えることも無く、ひょっとしたらそうかもねと、またケロリと肯定してみせた。その笑顔にはあいかわらず一点の曇りもない。
(……こいつかわいい顔に救われているけど、もし不細工だったらただの馬鹿にしか見えないんじゃないだろうか)
早瀬はこっそりそんなことを考えてしまった。もし心の声が漏れていれば、天使のような笑顔のまま、また行成からゲンコツで頭蓋骨が割れるほど思い切り殴られていたところだろう。
「べつに春日井が俺のことをどう思おうと、それはそれでまた別の問題でしょ。俺は春日井が気に入っているし、あいつの膝枕も悪くないし、とりあえず今のままの関係でも十分楽しいんだからさ」
あとは野となれ山となれ、と言わんばかりの単純明快な理屈だったが、その言葉に早瀬はふと反発を覚えた。衝動的に行成に聞いてしまう。
「でも、お前は今の時点では春日井に惚れているわけじゃないんだろ?」
「うん、まあね。たぶん」
行成があっさりと頷くのを見て、早瀬の苛立ちはますます募る。気づけば行成を責めるように言っていた。
「春日井の気持ちも考えてやれよ。もしあいつがお前に本気で惚れているんだとしたら、そんな生殺し状態、可哀想じゃないかよ」
は? と行成も土岐も、思いがけない早瀬の言葉に意外そうな顔になった。今まで
蛇蝎
のごとく春日井を嫌っていた男の言葉とも思えない。
実は早瀬は自分の中で急速に成長しつつある土岐への想いを春日井の行成への想いに重ね合わせ、同病相哀れんでいただけだったのだが、そんな気持ちには当の本人でさえまだはっきりとは気づいていなかった。
「そうやってお前は楽しいだけでいられるのかもしれないけどな。報われない片思いってのは辛いものなんだぞ。お前が能天気に振り回しているうちに、ストレスがたまって、春日井が参っちまったらどうするんだ」
――どうしてこいつが報われない恋心なんかを熱く語っているんだ?
常日頃行動を共にし、早瀬がいかにモテるかを知り抜いている土岐が、早瀬の演説にいぶかしげに眉を寄せる。そもそもあの春日井がストレスで参るような繊細なタマだとは、到底思えない。
しかし早瀬の咎めるような言葉は、なぜか行成の心には強く響いたようだった。アーモンド形の瞳を大きく見開いて、打ちのめされたようにかすれ声で呟く。
「……大輔」
「は? だいすけ??」
行成が呟いた名は、早瀬にはまったく馴染みのないものだった。脈絡が分からずにいる早瀬の前で、行成はせっぱ詰まったように言葉を続ける。
「そうだ、大輔も俺が気づかないうちに、きっとストレスをためこんでいたんだ。俺がいつもべたべた構って、離そうとしなかったからっ」
泣き出す寸前の表情を隠すように、行成は両手で顔を覆った。
「あんまり大事にしすぎるとかえって弱くなるって、お母さんにも何度も言われていたのに、あんなに突然死んじゃって……」
細い肩が、悲しみに小刻みに震える。そのあまりに悲しそうな様子に早瀬がおろおろする傍らで、どうやら「大輔」に心当たりのあるらしい土岐が、呆れたように行成の肩を叩いた。
「ユキ、犬が十八年も生きれば立派なものだと思うが」
「でも死んじゃう前日まではぴんぴんしていたのに、突然ぽっくり逝っちゃって。俺が前から厳しく鍛えてれば、きっと大輔はあんなに急に死んだりしなかったんだーー!!」
激しくかぶりを振り、むせぶように吐き出されたその言葉に、早瀬は死ぬほど脱力した。
「……土岐、大輔って」
「行成の家で昔飼っていた大型犬だ。風格のある、穏やかで賢い犬で、俺も小さいころはよく遊んでもらった」
そういえば、春日井はどこか大輔に雰囲気が似ているなと、語るでもなしに土岐が呟く。
もはや馬鹿らしすぎて掛ける言葉も見つからない早瀬の前で、行成は哀しげにうなだれたままだった。しかししばらくしてから顔を上げると、目許に浮かんだ雫を指先でぬぐい取り、悲壮な表情で立ち上がる。
「わかったよ、早瀬。これ以上春日井と付き合ってたら、いつかあいつも大輔みたいに弱って死んじゃうかもしれないもんね。俺みたいなやつは早く春日井から離れたほうがいいんだ。それがきっと、あいつのためなんだ」
毅然とした口調だったが、その顔には深い悲しみが漂っていた。きっと行成の頭の中では今、亡くなった大輔との思い出が走馬灯のように巡っていることだろう。
「スターリングだって、ラスカルを最後には森に放したんだ。俺ももう二度と春日井とは会わないから……」
また早瀬にはわからない古いアニメの思い出を語りつつ、ピンク色をした唇を震わせて、行成は自分に言い聞かせるように誓った。
いや別にそこまでしろとは誰も、と早瀬は言いたかったのだが、あまりに深刻そうな行成の表情に言葉が出ない。
どうするんだ、と咎めるような、呆れたような土岐の視線が心臓に痛かった。
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