恋は語らず -Chapter.1-
8
予鈴の音とともに、遠巻きにする好奇と畏怖の視線を平然とかわして、機嫌よく行成が教室に戻ってきた。そして己の感情を制御しきれず、憔悴しきってぐったりと机にへばりついている早瀬の姿を見つけ、驚いたように目を瞬かせる。
「ねえ土岐、どしたの早瀬は?」
「さあ」
人指し指で死体のような体をツンツンとつつきつつ尋ねたのだが、目の前の男が自分のことで錯乱しているとは知る由もない土岐は、軽く肩をすくめてみせただけだ。
するとそのとき、息絶えたかに見えた早瀬がいきなりがばっと頭を上げた。そして救いを求めるように行成にすがりつく。
「なあっ、今まで聞くのも嫌だったんだが、そもそも春日井は何でいきなりお前に惚れたんだ?」
「聞くのも嫌だったことを、何で今聞くのさ?」
「なんでって……」
自分が質問をしたつもりが、逆に行成に聞き返されてしまって、早瀬はうろたえた。
実は自分の中ににわかに湧き上がってきた土岐への妙な情動が、一体どこから兆しているのかを知りたくて、手っ取り早く手近で男同士惹かれ合っている行成と春日井の実態を詳しく知りたいと思ったのだが、とても正直にそうとは言えない。
言葉に詰まり、無意識のうちに昨日から気になって仕方がない相手の姿をちらちらとうかがっていると、助け船を求められていると解釈したのか、土岐が行成を諭すように言った。
「ユキ、早瀬はお前への報われない恋心にもがき苦しんでいるんだ。失恋しかけているこいつへのせめてもの手向けに、お前らの関係の馴れそめくらい素直に教えてやれ」
「お、お前まだそんなこと言ってんのか!? 俺は友人としてこいつを心配してやっているだけだって言ってんだろうが! こんなちんくしゃに失恋なんて誰がっ……、いでーー!!」
逆上して立ち上がった瞬間、下方から鋭く突き上げてきた行成の拳が早瀬の顎を襲った。口元を覆って悶絶する早瀬を睨みつけ、不穏な笑みを浮かべながら行成が精一杯ドスのきいた声を出す。
「だーれがちんくしゃなのかなー? ちょっと自分の図体がデカいからって、その言い方はないと思うなー、早瀬」
自分の小柄な体に人並にコンプレックスを持っていたのか、怒りを隠していることがありありと分かる表情だ。思い切り舌を噛んでしまった早瀬は返事をすることもできず、口許を掌で押さえて唸っていると、ダメ押しとばかりにもう一発、別の拳が頭のてっぺんに落ちてきた。
「おい、いつまで休み時間の気分でいるんだ! 早く席につかんか早瀬」
いつのまに本鈴が鳴っていたのか、次の授業の担当教官が背後に立っていた。自分の拳が早瀬にとっての記念すべき本日三発めであることなど露知らず、「お前らもさっさと席につけー」と、ほかの生徒を散らしに行く。
なんで俺ばかりがと頭をさすりさすり、ほとんど涙目になって見てみれば、行成も土岐もいつの間にか自分の席について何食わぬ顔をしている。
どっと疲れた気分になり、早瀬は大きく肩を落として嘆息した。
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