恋は語らず -Chapter.1-

5

 そんなまったりとした幸せに満ちた穏やかな空気を引き裂いて、突然無粋な声が中庭に響き渡った。
「ユキーー、この恥知らず! ここ、校舎の至る所から見えるんだぞ!? そんなところで、ひ、ひ、膝枕。男の膝に、膝枕……っ。恥ずかしくないのか、お前わーーーー!!」
 美術室から急行した早瀬だった。息を切らせ、せっかく絶妙に整った色男面を歪めて怒鳴りつけてきた彼を、行成は片目だけ開けて睨みつける。そしていかにもおっくうそうに、春日井の膝から頭を少しだけ持ち上げた。
「うるさいなー、早瀬は。いいじゃん膝枕くらい。みんなしてるよ」
「するか! んなことしているのはお前らだけだ!!」
「なら、その貴重な存在は大事にしようよ。俺眠いんだからさぁ」
 世間の常識など歯牙にもかけていない行成に、早瀬は言葉を失う。そんな彼の肩を後ろからぽんと叩いたのは、いつの間にか追いついてきていた土岐だ。
「だから余計な世話だと言ってやったのに。ユキは自分の世界だけで、堂々と胸を張って生きているやつなんだ。一度無意味だと判断した常識は、二度とユキには通用しない。お前も二年も付き合えば、いい加減分かってくる頃だろうに」
 そんなことは分かりたくもないと早瀬は内心でうめいたが、これ以上自分の意見を否定されるのも哀しいので、攻める方向を変えることにした。
「……ユキ、今は部活の時間だぞ。きちんと美術室に来い」
 自由参加が原則の美術部で、自分だって放課後はデートに遊びにと日によって気まぐれに遊んでいるくせに、この際だと早瀬は己の所業は棚上げにした。そして矛先を春日井にも向ける。
「お前だってバスケ部に所属してんだろうが、春日井。一年坊主が気軽に休んでんじゃねえよ。早く部活に行け」
 しかし春日井が何か言うより先に、寝そべったままの行成が「違うよ」と後輩を庇った。
「バスケ部は昨日の日曜日に地区大会の予選があったから、今日は部活が休みなんだよ。だから俺も合わせて部活サボってんじゃん」
「どうしてお前がこいつのために部活をサボってんだっ」
「いいじゃん、俺が美術部の部長なんだから、好きにさせてよ」
「違うだろ!? 部長だから、まじめに部活に出るべきなんだろ」
「違いますー。一番偉い役職だから、一番好きなことやっていいってことなんですー。そうじゃなきゃ、俺だって部長になんかならないよ」
「まあ、そんなものだよな」
 キリをつけるように、土岐が二人の会話に割り込んできた。
「自分だっていつも好きに休んでいる身で、偉そうにユキに説教するな早瀬。たった一日くらい大目に見てやれ」
「そうだよ。せっかく仲良くほのぼのしているんだから、邪魔するなよ、早瀬」
 言うや否や、辛うじて上げていた頭をまたぽすんと春日井の膝の上に戻す。どうやらすっかりこの場所が気に入った様子だ。
「ほ、ほのぼのって、お前な……」
「俺、こういうの夢だったんだよね。陽だまりの中で、誰かとのんびり日向ぼっこすんの。老後は絶対に日本家屋の縁側で、茶と猫と伴侶をワンセットに過ごすことに決めてんだ。体験させてくれてありがとな、春日井」
「……今のセットの中の伴侶役は、ぜひ俺にしてください」
 ボソッと、なかなかずうずうしいことを平然と春日井が言い放つ。
「あははー、考えとくよ。お前の膝枕、悪くないから」
 その能天気な会話に、常識人の早瀬はやはり突っ込まずにはいられない。
「……伴侶って、伴侶って普通女だろ? じいさんと老後を過ごすのは、ばあさんて相場は決まっているだろ。俺は間違ってるのか、土岐!?」
「相場というものは常に変動するものだ。資本主義社会に生きる身で、わがままを言うものじゃない、早瀬」
「……」
 中立の立場だと信じていたのにことごとく自分の意見を否定し、一向に味方になってくれない土岐を恨みがましく睨み、早瀬は孤立無縁の自分を悲しく思った。

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