恋は語らず -Chapter.1-

3

「――いったい、ユキはどういうつもりで春日井の野郎の手紙に返事なんか書いているんだ。付き合うわけじゃないと言いながら」
 放課後の美術室、荒っぽく太筆をキャンバスに叩き付けながら、早瀬が土岐に話しかけた。
 描き方は荒いが、早瀬は意外とパステル調の色が好きで、できあがる絵は優しい雰囲気のものが多い。
 一方土岐の描く絵は、普段の落ち着き払った彼から抱く印象とは裏腹に、色もタッチも華やかで激しい。今も原色の油絵の具をチューブから絞り出して、パレットの上でかき混ぜているところだ。
「ユキは昔から大きな犬が好きなんだ。ハイジやパトラッシュを見ていた影響らしいが。春日井はどこか、でかい犬みたいなところがあるからな。そんなところに惹かれたんじゃないか」
 行成とは近所で育ち、幼いころからお互いのことを知り尽くしている土岐が、手を止めないまま答える。
 二人は他の部と掛け持ちではあるものの、美術部に所属している。タイプは違えど、それぞれがよく目立ち派手な存在であるだけに意外だといろんな人間によく言われるが、好きな時にだけ参加して、好きなものだけ描いていられる肩のこらない部活動を、彼らは純粋に楽しんでいた。
 ちなみに行成も同じく美術部員で、現在の部員はこの三人だけである。
 もともと部員数が足りなくて潰れかけていた美術部に、気楽そうでいいと示し合わせて三人で入り込んだという経緯がある。思惑どおり今年の新入部員はゼロで、二人だけいた先輩たちも卒業してしまった今では、放課後の美術室は三人の占有地帯と化していた。
「惹かれたとかゆーな。……しかし俺、そんなの見たことがないぞ。一体いつの世代のアニメだよ」
「見たことがないのか? だったら一度は見ておくべきだ。うちにビデオが全巻あるから今度貸してやろう。きっと人生観が変わる」
 最近のアニメにはまったく興味を示さないくせに、不思議と古いアニメは好むらしい土岐から熱心に薦められ、早瀬はうんざりしたように前髪をかきあげる。
「俺の人生観を変える前に、ユキの人生観を変えてくれ。あんなデカイ男と付き合って、一体どうしようっていうんだ、ユキは」
「さあ」
 何か気になるものでもあるのか、ふと手を止めて、土岐が傍らの窓から外を見下ろす。その関心なさげな態度に、早瀬は鼻白んだ。
「『さあ』ってなんだよ。お前、幼なじみのくせしてユキのことが心配じゃないのかよ」
「別に男と付き合って、ユキの身に危険があるわけじゃなし。恋愛は個人の自由だろう」
「恋愛ってなんだ! 寒いこと抜かすな!!」
 ムキになって怒鳴る早瀬を、土岐がいぶかしげに見返した。
「何を怒っているんだ。もしかしてお前、ユキに惚れてでもいるのか?」
「はぁ!?」
 的外れな指摘に、なんだそれはと、早瀬は間の抜けた声を出した。
 弾みで手に持っていたチューブから思い切り絵の具を絞り出してしまい、慌ててキャップを締めていると、得心したように土岐が頷く。
「そうか、好きだったから、あんなに必死になってユキを止めようとしていたんだな。それは気づかなくて悪かった。横恋慕してでもユキにアプローチする気があるなら、力を貸してやってもいいが」
「な、な、な、何言ってんだよ!? なんで俺が野郎なんかに。俺はユキの友人として、やつの人生を心配してっ」
「それこそ、余計な世話だろう」
 言いつつ、土岐が指先で窓下を示した。
「あそこで春日井と和んでいるぞ。とても幸せそうに」
「なに――!?」
 あわてて窓に駆け寄り身を乗り出した早瀬は、眼下に見出した光景に絶句した。
 左翼に体育館。右翼にこの美術室の入っている特別教室棟。そして中央には普通教室棟が配置されている、コの字を時計回りに90度倒したような形の校舎の真ん中に、ちょうど包まれるようにして作られた、ささやかな中庭。
 その片隅に設えられた小さな木製のベンチに、長い手足を持て余すようにしながら座っている春日井の姿が見えた。そしてその膝の上には、大きな手に髪を撫でられながら、すやすやと心地よさげに眠っている行成の姿がある。
「ひ、膝枕……?」
 自分が見ている光景が信じられず、ぽかんとその場に立ち尽くす。しかし脳が状況を理解していくにつれて、その表情は次第に険しいものへと変化していった。
「あいつらっ……!」
 その場に絵筆を放り出すと、汚れよけのエプロンをつけたまま、早瀬は美術室を飛び出した。廊下を走り、階段を駆け降りていく音が聞こえて、すぐに遠ざかっていく。やれやれとエプロンを外すと、土岐も椅子から立ち上がった。
「……あいつ、やっぱりユキに惚れてるんじゃないか?」
 ひとりごちながら椅子の背にエプロンをかけ、替わりに制服のジャケットを羽織って、ゆっくりと土岐は早瀬のあとを追った。

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