琥珀色【前編】
14
――コンビニで適当に夕飯を買い込んでからアパートに戻った庄司は、自分の部屋の窓が暗いままなのを見て、小さくため息をついた。牧野は、今日はまだ来ていないようだった。まだ深夜というほどの時間ではないのだからこれから訪ねてくる可能性もあるし、そうでなくとも一日くらい牧野が来ないことはざらにあるのだが、昼間にも感じた不安が蘇り、なんだか妙に胸がざわついて仕方ない。
部屋に入ってもすぐには何かをする気になれず、真っ暗な空間で、庄司はしばらくぼんやりと突っ立っていた。そして考え込む。いったい昨日は何が悪かったのだろう。牧野が何に対して機嫌を悪くしてしまったのか、いまひとつ庄司には分からなかった。牧野のファンであることを隠していたのが気に障ったのか、それとも……。
――女みたいなタイプが好きなんだな。
低い声が耳もとに蘇る。あのときも、牧野は明らかに機嫌を損ねていた。庄司の性嗜好がノーマルであることに気づいて怒ったのか、あるいは彼の気に障ったのは庄司の挙げた、恋愛対象としての好みのタイプ、それ自体に対してだったのだろうか。
意図してのものではなかったとはいえ、牧野とは正反対といってもいいような特徴ばかりを並べ立てた。それが彼の気に障ったのだとしたら、牧野は自分に対し、何か特別な感情を抱いているということになるのではないか。そこまで考えて、ハッと我に返る。
(……何を考えているんだ、俺は。考えすぎだ)
これまで牧野と過ごしているとき、秋波のようなものを彼から感じ取ったことは一度もない。牧野を初めてこの部屋に泊めた日の翌朝、あからさまな言葉で誘いを掛けられたことはあったが、あれだって牧野が本気で言っていたとはとても思えない。
なんだか自分が物凄く自意識過剰な人間に思えてきて、庄司は急に猛烈な羞恥心を覚え、首を強く振って思考を振り払った。とにかくまず部屋の明かりをつけようと壁際の照明スイッチに手を伸ばしたのだが、そのとき背にした扉から響いてきた音に、再び動きを止める。
鍵が差し込まれるガチャリという音。庄司は反射的に振り返ると、勢いよく扉を開け放った。
「―――…っ!?」
外から暗い部屋を見て、中に誰もいないと思っていたのだろう。扉のすぐ側に立っていた牧野が息を呑み、差し込んだ鍵はそのままに、咄嗟に手だけを引いた。
「あっ、す、すみません!」
危うく役者の顔面を扉で強打してしまうところだった。ぞっとしながら、庄司は牧野が扉の正面に立っていなかったことに心底感謝した。
牧野もいきなり開かれた扉に驚いたようで、体を強張らせていたが、庄司と目が合うと急に不機嫌な顔になってふいと視線を逸らしてしまった。どうやらまだ怒っているらしいとその態度で知り、庄司は戸惑う。何か掛ける言葉を探して意味なく視線をあたりにさまよわせ、結局もっとも無難に思える言葉を口にしてみた。
「あの、牧野さん、お帰りなさい」
玄関口にたたずむ庄司の脇を強引にすり抜けて中に入ろうとしていた牧野が、その瞬間、目を見開いて硬直した。ポカンとして庄司を見上げ、ややして毒気を抜かれたような顔で尋ねてくる。
「――俺はここに来てもよかったのか?」
「え」
今度は庄司のほうがポカンとする番だった。
「いいも悪いも、だって牧野さん、いつだって好きに来ているじゃないですか」
合鍵まで渡したのに今更何をと思いながら言うと、牧野はふいと視線を逸らしながら小さく呟いた。
「そうだ。……だからおまえは嫌がっているんだと思ってた」
「……」
束の間、ふたりの間に沈黙が落ちる。薄闇に透かし見える、牧野のいつも通りのふてくされたような表情。だが今日はその顔が、何故だか照れ隠しのように見えた。
思わずその顔に見入ってしまっていると、視線を避けるように牧野が庄司の体越しに手を伸ばし、手探りで壁のスイッチを押した。急に部屋の中が明るくなって、眩しさに二人揃って顔をしかめる。
「なんで明かりもつけず、こんなところに立っていたんだ」
眉根を寄せたまま牧野が聞いてくるのに、庄司は内心慌てた。牧野のことを考えてぼんやりしていたとも言い辛い。
「その……、俺もいま帰ってきたばかりで、ちょうど電気をつけようとしてたところで」
しどろもどろで答えると牧野は納得したのかどうなのか、「ふうん」と曖昧な相槌を打ち、そのままふと視線を落とした。そして庄司の片手に提げられたコンビニのビニール袋を、興味深げに眺める。中にはアルミの容器に入った鍋焼きうどんと、缶ビールが数本入っていた。袋を軽く持ち上げながら、庄司は何気なく聞いてみた。
「牧野さん、もしかして夕飯はまだなんですか?」
「いや、夕方の五時くらいにロケ弁を食べた」
「また中途半端な時間に……。それなら一緒に食いませんか? ただのコンビニの鍋焼きうどんですけど」
「ふたりで食べるほどの量はないだろう」
どうやら小腹が空いてはいるようなのに、牧野は遠慮してみせる。コーヒーは顎ひとつで淹れさせるくせにと、何だかおかしくなってくる。
「大丈夫ですよ。冷凍した白飯があるからそれを解凍して、うどんはおかずにして食べれば」
玄関脇にあるキッチンに袋を置き、アルミの鍋を覆ったラップを剥がしながら、もう一度「食べますか?」と庄司が尋ねると、牧野はようやく小さく頷いてみせた。
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