琥珀色【前編】
8
その日出社してすぐ、庄司は堀内から呼び出しを受けた。ほかの編集部員たちが一体何があったのかと驚くほどの満面の笑顔で庄司を迎えた彼は、開口一番、取材初日から牧野に遭遇できた僥倖を称えると、より詳細な報告を求めてきた。
店内で見たことをありのままに伝えてデジカメで撮った画像を見せてやると、堀内は片隅に小さく写った人影を目を皿のようにして睨みつけて「確かに牧野だ」と興奮気味に呟き、唇の片端を釣り上げてにんまりと笑った。
だがその上機嫌そうな顔は、画像を二枚三枚と確認していくうちにすぐに薄らいでいった。全ての画像を確認し終え、決定的な場面は何も撮影できていないことを知ると不満そうな顔で唇を歪め、「まあ取材はこれからだからな……」と自分を納得させるように呟く。煙草を一本くわえて火をつけながら、堀内は庄司に改めて指示を出してきた。
「いいか、お前はこのまましばらくあの店に張り付いていろ。ああいう店に通いつめていて、何もないはずがないんだ。牧野が男を引っ掛けている現場の一枚や二枚、必ず撮れるはずだからな。なるべく早くモノになるネタを捕まえて来い。期待しているぜ庄司」
内心はどうあれ、これはれっきとした仕事である。庄司は「はい」と頷くしかなかった。だが吐き出された煙草の煙が体内に入り込んでくるのとともに、胸に重苦しい気持ちがわだかまっていくのはどうしようもない。無防備に寝ていた今朝の牧野の姿を、罪悪感とともに思い出す。
だがこればかりはいくら悩んでも仕方の無いことだ。庄司は無理矢理気持ちを切り替えると、ひとつ気掛かりになっていたことを堀内に尋ねてみた。
「――ところでほかの出版社はこのネタを追っていないんですか?」
庄司ひとりが取材をしている状況なら、昨夜のように多少の揉み消しをすることはこれからも可能だろうが、ほかの雑誌まで牧野のスクープを狙っているとしたら、いくら小細工をしたところで、牧野のスキャンダルが表沙汰になるのは止めようがない。そのことを懸念しての問いだったが、堀内はあっさりと首を横に振ってみせた。
「今のところ、その気配は無いな。まあ、今はどこも長谷川と葉山の別居を追うので必死なんだろ。所属事務所がやかましくて型どおりの取材しかできねぇといったって、あの二人が桁違いの大物カップルなのは事実だからな。うちだって当然そっちも取材しているし……。それから、これだ」
言って、堀内は先週号の週刊マダムを掲げ、表紙にいくつも並んだトピックスタイトルの内のひとつを指先で示してみせた。それは庄司がつい先日まで取材していた、四人組の男性アイドルグループ<TIDier>のメンバーのひとりの不行跡記事だった。
未成年者飲酒、喫煙に加え、業界で金を稼いでいるはずなのに、遊び感覚でつい最近まで万引きの常習者だったという、グループ内最年少メンバーの呆れた生活の実態を暴いた記事だ。まだ一〇代前半だというのだから恐れ入る。
「ジャリガキからOLたちにまで大人気で、飛ぶ鳥落とす勢いだったこいつらに、お前がこの記事でひとつ染みをつけた。染みがひとつだけだったら揉み消すこともできたろうが、どうも他のメンバーにもヤバイやつがいたみたいでな」
「ああ、三木さんが今追っている件ですか。何でも、今度は別のメンバーが乱交パーティに参加していたとか……」
「ああ。しかもそれが、乱交じゃなくて暴行だった可能性まであるとよ。パーティに参加した女のひとりが、他社に告発記事を寄せたらしくてな。まずあちらさんの来週号の巻頭は、その記事になるだろう」
まともに学校に通っていれば、まだ中学生、高校生であるはずの少年たちのあまりの荒れっぷりに、庄司は愕然とする。だが堀内は事件の深刻さにはまったく拘泥しない様子で、どうせならその女もうちにネタを漏らしてくれりゃいいのにと愚痴ってから続けた。
「まあ、今度の情報をウチがつかむのが遅かったのは痛手だったが、それはともかく、だ。何たって、同じメンバー内で立て続けにシャレになんねぇ事件が二件だ。しかもやつらがまだ未成年だったってのは、こりゃもう致命的だわ。は暴行疑惑が報道された時点で、まず間違いなく活動停止が決まる。いや、解散になるかもな」
楽しそうにそう言って、堀内は手に持った雑誌を机の上に放り投げた。
「この情報が流れてから、長谷川夫妻の別居に加えて、を追いかけるのにどこも必死で、パッと見なにも無いような牧野秋久の家庭の事情なんて、誰も気にしちゃあいない。そんなわけで、お前は安心して、かつ速やかに今回の取材を進めてくれや。ま、こんなときに牧野に目をつけるような慧眼の持ち主は俺ぐらいだな」
最後に自画自賛して、ガハハハハと堀内が高笑いする。
そうか、それならあんたさえいなくなれば誰も牧野のことを追いかけなくなるんだなと、庄司は上司を手にかけそうになる暗い衝動をこらえるのに苦労した。
いずれにせよ、これだけ他の事件が多ければ、牧野の件に人材を割いている余裕は当分ないはずだ。庄司ひとりで取材を続けられるのであれば、多少のことが起こっても、昨晩のように少しずつ牧野を危険から遠ざけることは可能であるはずだった。
それだけが不幸中の幸いかと自分を慰め、庄司はたまった仕事を片付けるべく自分の机に戻った。
その夜も重い足を引きずりながら仕事帰りにSARABAに寄ってみたが、二時間ほど待っても牧野は姿を現さなかった。そのかわりに昨日の美青年がまた来ていて、「なんで電話をくれなかったのよ〜」と散々なじられた。
結局その日知りえたことは、酒が入ると彼の口調がオネエ言葉に変わるらしいということだけで、虚しい思いも抱えながら疲労感とともに庄司は店を後にした。それでも何も収穫が無かったことには、正直ホッとしていた。
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