琥珀色【前編】
3
「――って、二人とも偽装結婚だったってことですか?」
そんな馬鹿なことがあるものかと、庄司は眉をしかめた。スタイリストだか、メイクアップアーティストだかと結婚した牧野はともかく、長谷川の妻は人気絶頂の若手女優だ。偽装にしては、いくらなんでも相手が大物過ぎる。
「ありえませんよ。それにたとえ本当にゲイだとしても、あの葉山綾乃と結婚すれば、自然に更生しちゃいますよ」
「ところがだ、その長谷川と葉山が別居するっていう噂が、早速出ているんだ」
「本当ですか!?」
あの葉山綾乃の夫になるというこの上ない果報者でありながら、結婚して一年も経たないうちに別居するとは。……これは長谷川は本当にゲイかもしれない。
気品のある美貌に小柄ながらも抜群のプロポーションの肢体をもち、しかもおっとりとした様子がとても可愛らしい葉山の姿を思い描いて、庄司はついそう思ってしまった。
しかし仮に長谷川がゲイだったとしても、牧野がゲイであるとは限らない。
「でも牧野秋久は絶対に違いますよ。結婚してひと月もしないうちに、奥さんが妊娠したじゃないですか。たしかもうすぐ産み月で」
そう必死に抗弁した庄司をあざ笑うように、芝居めいた仕草で堀内が顔の前で人差し指を振り、チチチチッと舌を鳴らした。
「牧野の場合は、長谷川よりもさらにスキャンダラスさ。その女房が孕んでいる子どもは、牧野の実の子じゃない可能性があるんだから」
「はあ!?」
「結婚を発表したとき、牧野がその口でできちゃった婚をきっぱり否定していたくせに、それからひと月もしないうちにもう子どもができた、だぜ? しかもそのニュースは牧野の女房が身近な人間に言いふらしまくったせいで発覚したんだ。ちょっと妙だろう。牧野は子どもができたことが分かってからしばらく、えらく機嫌が悪かったらしい」
そういえば子どもができたとか、まだできてないとか、牧野の結婚当初、いくらかやかましく報道されていたような記憶がある。だがだからと言って……。
何か疑惑を否定できる材料はないかと必死に頭を働かせるが、何も言葉が出てこない。代わりに立て板に水の勢いで、追い討ちとばかりに堀内が並べ立ててくる。
「しかも新婚早々に子どもができて、さぞかしお熱い仲だろうと思いきや、最近牧野はほとんど自宅に戻ってないらしい。ほかに部屋を借りているわけじゃなく、あちこち渡り歩いているようだから今のところは目立っちゃいないが、実際には長谷川に一歩先んじて、牧野の家庭は別居状態だ」
「そんな。でもだからといって牧野秋久がゲイだとは。仮にも女性と結婚したんですから」
「話は最後まで聞け。家に帰らずに、牧野が通っている場所が問題なんだよ。なんとな、ヤツは毎晩ゲイバーに通っているらしい」
「げ、ゲイバーですか……?」
耳慣れない言葉と、長年追い続けた俳優の面影を重ねるのが難しい。つい女装した牧野の姿を脳裏に思い描いてしまい、庄司はうっと息を呑んだ。
「そもそも牧野と長谷川が同じ時期に結婚したということ自体が怪しかったんだ。ちょうどそのころ、別の週刊誌が二人のゲイ疑惑を取り上げようとしたことがあったらしくてな」
ちびたタバコを山盛りの灰皿の頂上でひねりつぶし、堀内が新しいタバコを咥える。二年前から一応部内禁煙になっているのだが、堀内に限らず、ほとんどの部員は規則を守る素振りもなかった。ふわっと紫煙が周囲に漂う。
「あのふたりがデキているんじゃないかって噂は、実のところかなり前から囁かれていたんだ。だがふたりとも慎重で、なかなか尻尾を出さなくてな。それがついになにか掴まれたらしいと聞いてたんだが、そのときも結局、なにも記事にはならなかった」
記憶を追うように、堀内の視線が煙の行方を追う。周りの空気に溶け込んで色が薄れてきたところで、また盛大に煙を吐き出した。
「しかしあれがきっかけで、これ以上マスコミにつつかれる前に先手を打って、偽装結婚に踏み切ったんじゃないかと俺は踏んでいる。偽装ならいつかボロを出すだろうと思って、あのふたりの動向に注目していたのは間違いじゃなかったな。同時期に別居話が出たってことは、ひょっとすると、牧野と長谷川がよりを戻そうとしている可能性もある」
変なことに注目しないで欲しかったと、庄司は切実に思った。何も知らずにいれば自分はこれからもずっとあのふたりの演技の純粋なファンでいられたのに、これからしばらくは素直な眼で見られそうにない。
「さて、ここからが本題だ。そんなわけで俺はできれば長谷川と牧野、どちらか一方のゲイ疑惑だけじゃなく、両方のつながりを絡めて記事にしたいと思っている。そっちのほうが、話題性も説得力も二倍三倍になるからな」
「はあ……」
どんどん嫌な方向に向かっていく話に耳を塞ぎたくなりながら、庄司はかろうじて相槌だけを打った。
「長谷川と葉山の別居に関しては、近いうちに各社一斉に取り上げることになるだろうが、なにせ葉山の事務所は強力だ。あそこはいつもマスコミ関係はきっちり抑えて、統制された型どおりの情報だけを流すように指示してきやがる。よって葉山の旦那である長谷川サイドからもあまり仕掛けられない。しかしな、牧野のほうは違う」
「……」
「牧野の事務所は、業界でも小規模なほうだ。はっきり言って稼げるタレントは牧野と、あとせいぜい一人かふたり。一度流れた情報を止める金も力もない。仕掛けるなら牧野のほうからということだ。そこでお前の出番になるわけだよ、庄司」
「俺にいったい何ができるって言うんですか」
煙草をくわえたままビシッと指を突きつけられ、どうしてよりによって自分にこの話を回すんだと半ば泣きそうになりながら庄司が訊くと、堀内は机の引き出しをごそごそと探り、やがてなにやら小さな紙片を取り出した。
「これを見ろ」
「……どこかのお店の名刺ですか?」
堀内の差し出した紺色の紙片の表面には、英字で「SARABA」とだけ刷られていた。ひっくり返して裏面を見ると、店までの簡単な地図と、電話番号が印刷されている。どうやら新宿にある店のようだ。
「この店が牧野のいま一番のお気に入りらしい。月に二、三回は顔を出すっていう噂だ」
「……堀内さん?」
その店と自分とどう関わるのか分からないながら、不吉なものを覚えて、庄司は思わず一歩後退った。そこをさらに追い詰めるように堀内が机から身を乗り出し、ぐいっと顔を近づけてくる。ヤニくさい、耐え難い臭いがした。
「そこでだ。庄司、お前今日からこの店に通え」
「堀内さん!?」
「足繁く通えば、牧野が男をくどく現場のひとつやふたつは押さえられるだろ。ゲイ疑惑を裏付けるにはもってこいだ。あ、飲み代はちゃんと経費で落としてやるから心配するな。ただしあまり高い酒を飲むなよ」
「か、通えったって、ゲイバーに俺が!?」
慌てて名刺を改めてみると、店の住所はたしかに新宿の二丁目だった。
「他にもいくつか牧野の気に入りの店はあるらしいんだが、どこも会員制で簡単に入り込めないんだよ。そこも会員制だが、何とかツテを辿って常連に紹介してもらえることになったんだ。その店でスクープを逃したら他はないんだから、くれぐれも抜かるなよ、庄司」
一方的な命令にたじろぎながらも、とても無邪気に頷くことはできず、庄司は懸命に食い下がった。
「ほ、堀内さん、無茶ですよっ。大体ゲイバーなんかに通い詰めて、スクープ掴む前に俺が男にカマ掘られちゃったら、どう責任取ってくれるんですか!」
「身長一八〇センチを超えてるお前を、どこの男が押し倒せるって言うのよ。お前がうちの編集部で一番体格がよくて、強そうなんだからさ。どっかの基地の米兵でも遊びに来ていない限り、心配ないって。万一カマ掘られたら、俺が責任とってやるし」
なははーと、他人事のように笑い飛ばす堀内の頭を殴りつけてやりたくて、握った拳がぶるぶると震えた。もし本当に巨漢の米兵が遊びに来ていたらどうするのか。ゾッとしている庄司の長身をしげしげと見上げ、堀内が無精ひげの生えた顎を片手でさすりながら続ける。
「それにお前どっか長谷川と似ているからさ。もしかしたら牧野のタイプかもしれないし。お前が牧野を落としてくれれば、記事にしやすくなって助かるんだけどなあ」
「それ、すでに記者としての職分を超えていますよ! 俺、ホストじゃないんですよ!? 大体俺は長谷川ほどタレ目じゃありません!」
「ま、確かに顔は似てないわな。でも、身長とか体格とかが、どっか似ているんだよな。あとはもう少し髪が長くて、髪質がやわらかければ。……庄司、お前今からイメチェンしてみる気ない?」
「なんで俺が、男をたらし込むためにそこまでしなきゃならないんですかーっ!!!」
激怒して庄司はなおも抗議したが、海千山千の堀内はまったく動じる様子がない。イメチェンはさすがに拒否したものの、その後も何のかんのと脅しつけられ、結局庄司はその最悪な取材を任されることになってしまったのだった。
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