神殺しの男【大神殿に巣食う蛇】
6
一度注意するようになってみると、これまで見えなかったものが途端に見えるようになるものだ。説法のときには邪淫を厳しく咎めている、お綺麗な顔を繕った神官たちの中にも、同性を殊に愛する性向を持つ者が少なからずいることを、シィラーズは漏れ伝わる噂や自分自身の目で知った。
神官は全て妻帯を禁じられた男であるため、小間使いのようなものを除けば、神殿内に女性はほとんど存在しない。そのため抑圧された性衝動が、手近なところにいる同性を求めるのだろう。
だが、その気になれば自分付きの女官にいくらでも手を出せる神官長や祭司の中にも、同性にしか関心を示さない者が幾人かいた。その中の一人であるイーワン司教、イハブの寝室にシィラーズが呼ばれたのは、彼が内蔵に出向いてから一月半ほど後のことだった。
普段であれば、とっくに就寝しているべき深夜。四人一部屋で割り当てられた部屋の外に出たところを誰かに見つかるだけで、厳しく叱責されるような時間だ。そんな時間に司教に仕える中年の神官が人目を憚りながら、寝静まる部屋の扉を静かに叩き、シィラーズの名を外から呼んだ。
申し付けることがあるから着替えてすぐに出てくるようにとシィラーズが命ぜられると、神殿内では異質の存在である彼を普段から煙たく思っている少年たちは、妙に含んだ視線を互いに交し合って、夜着を脱ぎ捨て神官服に着替え直して部屋を出ようとしているシィラーズをにやにやと眺めた。
この呼び出しがただの呼び出しではないことに気づいていて、シィラーズがこれからどんな目に遭うか下卑た想像をし、楽しんでいるらしい。これでシィラーズが何も分からない子羊のように怯えきっていれば、さぞかし彼らの楽しみに興を添えたことだろう。だが全く動じていない彼が、落ち着き払ったまま冷めた笑みを浮かべていることに気づくと、少年たちは戸惑ったように何度も目を瞬いた。
どうやらこちらから釣り針を垂らす前に、魚のほうが食いついてきてくれたようだと考えながら、もはや少年たちには目もくれず、シィラーズは一人で部屋をそっと抜け出た。そして使いの男のかざす燭台の小さな灯火だけを頼りに、暗い回廊を進んで行く。
先を行く、妙に猫背の男の姿を見るとも無しに見ながら、シィラーズは頭の中で、『司教ならば悪くはない』と現実的な計算をしていた。
司教とは、ロシュタミア王国内を十に分けた教区ごとに任じられ、その教区内の信者と神官を束ねる、大神官や神官長に次ぐ高い地位の神官を指す。そして先を行く男が仕えている、イハブの管轄下にあるのがイーワン教区。王国の最北方部分、シィラーズやアナヒータの生まれたエフタルの地を含む場所だ。
教区ではけして評判のいい司教ではなかった。そもそも自分の教区を放ったまま、豊かな都にいつまでも安穏として腰を据えているところからして、その中身が透けて見えるというものだ。そもそもが国王の甥というだけで、司教にまで上り詰めた男だった。才幹など、端から誰にも期待されていない。
だが利用するにはそのくらいのほうがいい。高潔な人間であるほど、扱いにくくなるものだ。おあつらえ向きの男と近づきになれそうな気配に、シィラーズの唇は知らずほころんでいた。
やがて一際太い円柱が連なり、床一面に真っ青な絨毯を敷き詰められたあたりに着くと、一定の間隔で並んだ扉のうちのひとつを、使いの男が密やかな音で叩いた。室内からの返事を待って大きな扉を開けると、シィラーズに中に入るようにと促す。男自身は、部屋の外に留まった。
ひとり室内に入ったシィラーズは、外の闇を払うように煌々と灯された灯かりに一瞬瞳を焼かれ、慌ててギュッと一度、強く瞼を閉じた。痛みが馴染んできたころに目を開けようとすると、その前に横合いから伸びてきた大きな手に、強く二の腕をつかまれ、引き寄せられてしまう。
「……姉に比べれば、多少落ちるようだな」
ぐいと顎をつかまれ、顔を覗き込まれる気配がした。その地位の高さからしても、この男はこれまでにアナヒータの素顔を見る機会があったのだろう。姉との違いを確かめるように、顔のあちこちに無遠慮に触れてくる。ざらりとした指が頬をかすめていき、その感触に促されて眼を開けると、まだぼんやりする視界に大きな男の影が映った。
男はシィラーズが目をすがめ、体を硬くしているのを見て、彼が怯えているのだと思ったようだった。笑い声を漏らしながら、余裕ある口ぶりで「怖がることは無い。存分に可愛がってやる」などと口走っている。
あまりに芸の無い言葉に咄嗟に噴き出しそうになり、シィラーズはそれを隠すために咄嗟に男の胸に顔を埋めた。無防備に身を任せる少年に興をそそられた男の体が、性急に覆い被さってきて、情欲を滲ませた声で呟いた。
「神子姫の弟は、いったいどんな味がするものか、楽しみだ」
これから何が起こるのか、その具体的なことをシィラーズはまだよく知らなかった。従順に男の首に手を回しながら、シィラーズは未知の体験にただ素直に身を委ねていく。ぶるりと背筋に震えが駆け上ったが、それは悦楽や怯えからくるものではなく、武者震いに近いものであることを自覚する。
これはシィラーズが次の高みに上がるための布石だった。だからこの男に何をされたところで、それは彼にとって快いものに違いなかった。
Copyright(c) 2009 SukumoAtsumi All rights reserved.