神殺しの男【大神殿に巣食う蛇】

 シィラーズが、財も身分も持たない自分にも、ひとつ有効に使える武器があることに気づいたのは、丈の足りなくなった神官服を取り替えてもらうため、神殿内にある内蔵くらを訪れたときのことだ。
 呼ばわった声に応え、様々な棚や箱で埋まった薄暗い部屋の奥から出てきた中年の神官は、シィラーズが体の成長のため、今支給されている服が着られなくなってしまったことを告げると、短く蓄えたあごひげを指先で撫でながら、確かめるように彼の全身を視線で撫で下ろした。
 落ち窪んだ目が妙に陰気そうな、痩せた男だった。
 決まりきった仕事しかない日々の暮らしに倦んだものか、よどんだ空気を全身から発している。つまらなそうな、関心のなさそうな眼差しでしばらくシィラーズを無言で眺めていたその男は、やがて全身を覆いつくすはずの長衣の下から覗き見えてしまっているシィラーズの華奢なくるぶしの白さに目を留めると、なおもあごひげに指を当てたまま、妙に執拗にそこばかり見詰め出した。
 いったい何なのか分からず、ただこうしている間にも時間が無為に過ぎていくことに焦れて、シィラーズは眉をしかめた。何か声を掛けようかと考えたとき、屈み込んだ腰を伸ばしながら、ぽんと膝を叩いて男が急に明るい声を出した。
「服か。そうだな、今の小さいままでは可哀想だな。この場で俺が直してやってもいいんだが、まあちょっと待て。この生地はもうかなり傷んでいてみすぼらしいしな。どうせならまっさらな綺麗なものを用意してやろう」
 陰気だと思った男がいきなり饒舌に語り出すのに少し戸惑うシィラーズをその場に置き、男がせかせかと奥のほうに姿を消す。がたがたと音がしていたかと思うと、すぐに何着かの新しい神官服を抱えて戻ってきた。
「お前はまだ見習いのようだから、そう派手なものを着させるわけにはいかんが、一見同じように見える生地や仕立ても、長く着てみるとその違いがはっきり分かってくるものだ。この服は神官長様方の衣服も仕立てている工房で縫わせたものだ。貴族の坊ちゃんたちだって、そうそうは着られんいいものだぞ。特別にお前に支給してやろう」
 手の中に押し込まれた衣服が、一際素性のいいものと聞いて、シィラーズは難色を示した。これを自分が神官長の地位まで上り詰めたあとに着るのならいい。だがまだ見習いのこれからという時期に悪目立ちをして、周囲から評価を下げられるのは避けねばならなかった。
「……私には勿体ない品のようです。どうか他の方々と同じものをお与え下さい」
「なになに、心配するな。ほかのやつらから見れば、お前が今着ている服もこの新しい服も、どれも同じ白くて貧乏くさい服だ。金糸の縫い取りがされているか、宝石がたくさんくっついているかしなければ、いい服だなんて誰も思わんのさ。ほら、俺が着せてやるからじっとしていろ」
 蔵の扉を閉めながらそう言って、鼻息を荒くしてシィラーズの腕を引き、人目につかない奥に誘い込む。さすがにシィラーズもどうもこれはおかしいと思った。どうして急にこの男が親切になったのか、そしてどうしてこの男はこんなに目をぎらつかせ、興奮しているのか。
 分かったのは長衣を剥ぎ取り、下着越しに男がシィラーズの腰のあたりに触れてきてからだ。まだ女以上に細い腰、むき出しになった、薄暗がりの中でも浮かび上がるような手足の白さと滑らかさに、男の吐く息がますます荒くなる。
「……おまえは、神子姫さまの弟だろう。玉のように美しいという神子姫さまを覗き見ることも俺などには許されないが、さすがに血が繋がっているだけのことはある。おまえも美しい。いや、脂粉で飾り、ベールに顔を隠してお高く留まっている女なんかよりも、よほど……」
 男の言葉に、シィラーズははっと目を見開いた。擦りつけられるザラザラとした男の肌や、無遠慮に触れてくる汗ばんだ指が不快ではあったが、新たな発見に気持ちが高揚していく。
 自分は男だからと、そんな可能性などこれまで考えもしなかった。だがどうやら男相手でも、女を相手にしたときのように喜ぶ人間がいるらしい。それはシィラーズがまだ子どもで、性別が曖昧な時期だからこそかもしれないが、どちらにしろこのことは今後使えるのではないかと思った。
 そして手を触れることもけして叶わない神子、アナヒータの弟である、と。そのことがこの場合に置いても、きっと有利に働くだろう。今この男が、アナヒータの面影を自分の上に勝手に重ね、ひとりで盛り上がっているように。
 しばらく男に好きなようにさせ、もういいだろう頃合を見計らって、やや強引にシィラーズは身を離した。多少でも自由にさせてやったのは、得がたい発見をさせてくれた男への、彼なりの報酬のつもりだった。
 新しい長衣で足首までその身を覆い隠してしまったシィラーズに残念そうな顔をしながら、内蔵の管理という閑職に就かされた男が、媚びた声で「またここに来てくれるだろうな」と尋ねてくる。
 大きな抵抗もしなかったシィラーズを、たやすい相手だと思っているのだろう。否定されるとは思ってもいない余裕ある表情で聞いてきた男に、シィラーズは無邪気そうな顔で笑い掛けてやったが、返事はなにひとつしてやらなかった。
 だがその笑顔が約束の印と思ったものか、一度は閉めた蔵の扉を自らの手で開き、男はシィラーズを送り出してくれた。最後に未練がましくまだ柔らかい少年の手を撫でさすったが、それも鷹揚にシィラーズは許してやった。そして身を翻して、その場を立ち去る。背中を、なおも物欲しそうな視線が追いかけてくるのが分かったが、冴えない男を喜ばせるためにこの場を再び訪れてやるつもりなど、もちろん彼には一切ない。
 それよりも新たに手に入れたこの武器をどう使っていこうかという新たなたくらみに夢中になって、シィラーズは薄く唇をひらめかせた。

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