神殺しの男【神殺しファルーク】

17

「シャー・ルカ!!」
 異形の男が水に呑まれたのだと分かった時、咄嗟にファルークの口から迸り出たのはその名だった。全身から血が引く思いでどれだけ男の姿を求め視線をさ迷わせても、周囲にはただ深い闇が広がっているばかりで、自分と、傍らの長老以外の人影はどこにもない。
「どこだ、シャー・ルカ!?」
 声の限りに叫ぶと、応えるように水の撥ねる音がどこからか聞こえてきた。反射的に音のしてきた方を振り返り、ファルークはハッと息を呑む。すぐそこにある泉の中で、何かがもがくように暴れていた。暗闇の中でも長い髪を振り乱したその姿が「彼」であることが分かり、ファルークは喉の奥底から声を振り絞って叫ぶ。
「シャー・ルカ!!」
 よくよく見れば地には重いものを引きずったような跡が刻まれており、それが泉の縁で消えていることから、男があの得体のしれない水によって、無理矢理に水中へと引きずり込まれたことが分かった。
 拘束された両手が使えないまま、何かに抵抗するように足だけで必死に足掻いていた男が、ファルークの声にハッと驚いたように顔を上げた。びしょびしょに濡れそぼった憐れな様子で、かつての少年の面影も無い男はぶるぶると全身を震わせながら、呼ばれた名が信じられないかのように束の間呆然とファルークの顔を凝視し、泉の中で棒立ちになった。その瞬間が命取りだった。
「うぁっ!!」
 いきなりガクンと男の頭部がのけぞる。後方に引きずられるようにしてその体が一瞬宙に浮き、次の瞬間には水中にもんどり打ちながら叩きつけられる。痛みに顔をしかめながらも、すぐに男は懸命に上半身を起こして体勢を立て直そうと足掻き、水面に激しい波しぶきを立てた。
 男の体がすぐ背後にぽっかりと口を開けた黒い穴の中に引きずり込まれようとしているのだと、その時初めてファルークは気づいた。泉の底に開いた穴に向かって、水が大きく渦巻きながら男の体をぐいぐいと引き寄せている。長すぎるのが災いしたのだろう。男の黒髪の先端はすでに渦の中に吸い込まれており、そのままじりじりと体ごと引き寄せられていく。
  髪を捕らえられているため頭を大きくのけぞらせながらも、何とか渦に呑まれまいとしている男の必死の形相を視界に捉えた時、後先考えずにファルークは自らも泉の中に飛び込んでいた。
 すぐにその体をふわりと淡い光が覆い、優しいその光を嫌うように、ファルークの周囲だけざあっと一斉に水が引いていく。露になった泉底を蹴りつけながら、脇目も振らず男の下へとファルークは走った。
 渾身の抵抗も間々ならず、男の体がずるずると渦に引き寄せられていく。遠ざかっていくその体を引きとめようと、ファルークは懸命に腕を伸ばした。
「シャー・ルカっ!!」
 呼ばれた男も、ファルークの方を確かに振り返った。しかし両手の自由が間々なら無い男に、伸ばされた手にすがりつく術は何ひとつ無かった。指先がわずかに男の体に届いたとファルークが思ったその次の瞬間、男の体は泉の底の穴に呑み込まれて消え去っていた。

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