神殺しの男【神殺しファルーク】
16
だが治まらない激情のままに尚もファルークを痛めつけようとした男の体を、いきなり横合いから伸びてきた手が突き飛ばした。それまで呆然と二人の様子を見守っていた長老だった。一方的な暴力を見ていられなくなったのか、突き飛ばされてたたらを踏み、すんでのところで体勢を整えた男の前に両手を広げて立ちはだかる。
「やめんか! 貴様いったい何のつもりだ!!」
何も知らない長老にとって、ファルークは祈祷で神を蘇らせ、町を救った紛れもない恩人だった。その恩人を無体な暴力から庇おうとする老人に、男も激しい勢いで怒鳴り返す。
「邪魔をするな! そいつが何をしたか知れば、お前とてその祈祷師を生かしたままでいられるものか」
「何……?」
訳が分からず聞き返す長老に更に何か言い募ろうとして、ふと足元に感じる違和感に男は口をつぐんだ。足を一歩踏み出す。チャプンと音がした。
「馬鹿なっ……!」
見下ろした男の視界に、どこからか流れ込んで己の足首まで再び水位を上げてきた水の姿が映る。雨はすでに止み、水はもうほとんど地面に吸い込まれたはずだった。なのに一体どこからこんな水が沸いて出たのか。
咄嗟に空を仰ぎ見ても、先ほどそこに眩しいほど光り輝いた神の姿は、すでに欠片も無くなっている。ファルークたちもまた再び現れた水に驚いて、思わず周囲の闇に視線をさ迷わせた。と、戸惑う三人の耳に、ぼこりと水面がはじける音が遠くから不気味に響いた。
ぼこり、ぼこりと、断続的に続く音を追って三人が向けた視線の先に、地下水路へと続くあの泉があった。その水面を激しく泡立たせながら水が湧き出し、こちらに向かって真っ直ぐに流れてきている。
「さっきの……」
先ほど男が現れる直前に、この泉からあふれ出した水が自分を襲ったことを思い出し、ファルークが上げた声に反応するように、泉の水が異様な動きを見せた。奥底から無限に湧き出る水が噴水のように垂直に立ち上がり、蛇のごとく鎌首をもたげながら上空へとするすると伸びていく。水は宙で一瞬その動きを止めた後、ゴウッと音を立てながら、猛烈な勢いで引き放たれた弓矢のように三人のいるほうに襲い掛かってきた。
「ひいっ!!」
いきなりの異物の出現に悲鳴を上げながら、長老が身を庇うように地にうつぶせた。
ファルークも予想もつかない事態にその場に硬直してしまう。その全身をふいにふわりと淡い光のベールが包み込んだ。それが先ほど泉の水を払うために自分が張った護身の呪の残り香だと気づいたのは、太い水の帯がもう眼前にまで迫ってきた時だった。
飲まれる! と、反射的に目を固くつぶったファルークを、水が避けて行く。三人がほぼ固まって同じ場所にいたにも関わらず、長老の体も掠めもしない。泉から湧き出た水が迷わず一直線に襲い掛かったのは、長い髪、針金のような四肢を持った謎の男だった。声も上げないまま、ただ目を見開いている男に、水が塊となって覆いかぶさっていく。
何かが飲まれるザブンという音に反応して瞑っていた目を開いた時には、ファルークの視界のどこにも、目の前にいるはずの男の姿は無かった。
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