神殺しの男【神殺しファルーク】

15

 さあああ……、と。
 大地の上を水が滑り下りていく音が、沈黙に覆われた周囲にわずかに響く。だがそれも赤茶けた地面の中に見る間に吸い込まれ、あれほど大量にあった水はあっけないほどすぐに消えて行った。
 太陽が遥か地平に消え去った砂漠には、昼の過酷な暑さを思い出せぬほどの厳しい寒さが舞い降り、人々の肌を鋭く刺し貫いていく。
 指先から生じた小刻みな震えが全身に広がるのを、ファルークは己の肩を抱きしめるようにして懸命に止めようとしたが叶うものではなかった。やがてガチガチと歯の根まで合わなくなる。
 寒さは体の外側よりも、内側の、恐怖に震える心からやってきた。

――――おれは、またやってしまったのか。

 誓いを破り、また神を殺してしまった。
 自分のために力を尽くさせ、自分のために狂奔させた挙句に。
 自分のような卑小な人間のために神を死なせていいわけがないのに、それをよりによってこの男の目の前で……。
 こんな最悪なことがあっていいのかと絶望しながらよろよろと首をめぐらし、ふらつく視線をすぐ隣で呆然と虚空を見つめている男の横顔に据えた。やはり少しもあの少年の面影を見出せない荒んだボロボロの姿をしたその男も、ファルークと同様に全身を震わせている。しかしそれは恐怖のためではなく、衝撃と怒りのためから来るものだった。
 あまりのことにほとんど自失していた男の目に、徐々に理性と激情の炎が燃え出すのを、ファルークは為す術も無くただ(おのの)きながら見つめていた。やがて一体を覆う凍るような沈黙を破って、(きし)むような(うめ)き声が地上を這う。
「き、さま……」
 ぎしぎしと音が聞こえそうなぎこちなさで、男がゆっくりとこちらを振り向いた。正面から男の視線とファルークの視線がぶつかり合う。
「ファルーク、貴様ぁ!!」
 大きく肩を震わせながら、ビリビリと腹に響く怒号を発し、男が勢いよく立ち上がった。その右足が大きく上げられるのをぼんやりと認識しながらも、ファルークは逃げようとは思わなかった。
「っ!!」
 ガツッという音とともに右頬に鈍い痛みが走り、硬い靴のかかとで蹴り飛ばされた頭部が衝撃でがくりと後ろにのけぞる。頬の内側が歯によって深く切れ、口内にどろりとした金臭い味と匂いが広がった。喉の奥に流れ込む血にむせて咳き込むファルークを、男が容赦ない力で更に蹴りつけてくる。
「貴様は……、貴様だけは何があってもけして許しはしない」
 感情の一切失せた声で、呪うように男は言った。
「私がこの場で息の根を止めてやる」
 言葉とともに一際強い蹴りを腹部に入れられ、堪らずにファルークは地にうつ伏せに倒れ伏した。
 暗闇の中でもほのかに光を発しているように見える白金の繊細な髪が、泥に汚れてくすんでいく。ぬるりとした泥にまみれながら、ファルークは己の体がそのまま泥溜りの中にぐずぐずと溶けていくような錯覚にとらわれた。いやいっそ本当に泥の中に溶け込んで、この男の前から消え去ってしまえればどれだけいいか。絶望と悔悟に胸をさいなまれながら、ファルークはただ強く両拳を握り締めた。
 この痛みは当然の懲罰だ。生温すぎるほどだ。誰か、俺に裁きの鉄槌(てっつい)を下してくれ。この全身を引き裂き燃やし尽くすことでこの男の怒りに殉ずることが出来るなら、どれだけ救われることか。
 自分を痛めつけようとするこの男こそが、本当は誰よりも一番深く傷ついているのをファルークは知っていた。この男があの少年の成れの果ての姿だというのなら、今のこの事態に深く傷つかないわけがないのだから。

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