神殺しの男【神殺しファルーク】
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叩きつける激しい雨の下を、男は怒りに任せて走り抜けた。
後ろ手に腕を括られているため、体はすぐに均衡を崩し、その上全身を覆う外套と長すぎる髪が手足に重く絡みつく。まともに動くことさえ困難な状態で、彼は何度もぬかるんだ地面に足を取られて転んでは立ち上がり、また走り出した。
先ほどまで死んだように眠り、更に水分を補給できたことで、尽き掛けていた体力はわずかに回復していたが、それも一歩足を踏み出すごとに瞬く間に風に吹かれるか細い灯火のように消えて行く。
それでも彼は走った。進むべき方向は、闇に覆われ始めた周囲を切り裂くように、凄まじい光を放ってそびえたつ前方の赤い柱が教えてくれた。
あの下に、今まで探し続けた男がいる。それはすでに確信だった。ゆえに彼は何も考えず、ただただその光に向かって走り続けた。無我夢中で駆け抜けるうちに、次第に自分が駆けていることさえ、分からなくなっていく。
無心で足を動かしながら、彼の頭を占めるのはただひとつの名。その名が呼び起こす激しい感情だけが、今の彼に信じがたい力を与えている。
――――ファルーク、ファルーク、ファルーク
雨の轟音にさえ負けない強さで、まるで愛するものを呼ぶように懸命に、彼はその名だけを何度も何度も叫び続けた。
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絶え間なく降り注ぐ雨にすっかり濡れて、鬱陶しく落ちかかってくる前髪を苛立たしげにかきあげ、ファルークは焦りをかみ殺そうと必死に何度も息を吸った。長い睫を伝って、次々と眼の中に入ってくる水が視界を奪うのすら腹立たしい。
苛立ちは自棄の心に繋がっていく。ともすれば諦めてしまいそうな自分の心を奮い立たせ、暴走し始めた神を何とか制御しようと、ファルークはすでに何度繰り返したか分からない祈祷の言葉を紡ぎ、祈りを込めた。だが祠を壊して天上に上った神は、まるで麻薬に酔ったように暴れ狂い、落ち着いてくれと必死で訴えかけるファルークの声を聞こうともしない。
そうするうちに、眼前にある神の化身たる真紅の柱の光がわずかに弱くなり、その先が透けて見え始めたことに気づいて、ファルークは全身をぎくりと強張らせた。雨の勢いはまだ変わらない。しかし、これはもしかしたら……。
「……まさか力が、尽き始めているのか……?」
愕然と呟く。まだ雨が降り出してから、一刻も経っていない。元がどれだけ力のあった神かは知らなかったが、いくらなんでも早すぎると思った。もしかしたら、ファルークが祈祷を始める以前から、その力はだいぶ弱まっていたということなのか。
『お前の祈りは、神を狂わせる』
緊迫するファルークの脳裏に、かつて嫌悪と畏怖の入り混じった声で、ある男から掛けられた言葉が不意に耳元に蘇った。
『神とは、純粋な力と心の塊。お前の祈りは神の心を狂わせ、力を暴走させて、世界を破滅に導く。それだけではない。肉体を持たぬ神は、力の全てを使い果たせばそのまま消滅してしまう』
『それはすなわち神の死だ。その死に至るまで、お前は際限なく神に力を使わせてしまう。――――お前の祈りは、神を殺す』
投げつけられたあまりにも容赦ない言葉に全身を強張らせるファルークに、その男はまるで烙印のように、祈祷師として最高の称号となる双つ名を与えた。憤りと、憎しみに満ちた声で。
『「神殺し」ファルーク。お前は神を堕落させ死に至らしめる、魔物だ』
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