神殺しの男【神殺しファルーク】

――――時を少しさかのぼる。
「ワリード! どこにいるの、ワリード?」
 自分を探す母の声を遠くに聞き、少年は慌てて物陰に小さな身体を隠した。見つからないように縮こまってそっと背後をうかがっていると、家の玄関口から顔を出した母が辺りをきょろきょろと探しているのが見えた。
 返事をしないでじっとしていると、「一体どこに行ってしまったのかしら……」とぶつぶつ言いながら、彼女は再び家の中に戻って行く。
 母を心配させていることに小さな罪悪感を感じたが、そろそろと物陰から出てくると、ワリードは町の入り口に向けて勢いよく走り出した。日が落ちる前に戻ってこれば叱られることもないだろう。今日のうちにどうしてももう一度、先ほど町に現れたあの奇妙な男を見てみたかった。
 あの尋常でない姿を脳裏に描くだけで、胸がぞわぞわして、そしてとてもわくわくする。
 生まれてからずっとこの小さな町で暮らしているワリードにとって、ごく稀に訪れてくる旅人たちは、それだけで幼い好奇心を刺激して止まない存在だった。
 全身をすっぽりとフードで覆ったあの細身の祈祷師(ガラ)も十分怪しげで興味をそそられたが、それにもまして後から現れたあの男には驚いた。あんなに恐ろしい姿でやってきた旅人を見たのは初めてだった。
 あの男は一体どんなところを旅し、どんな生き方をしてこの町までたどり着いたのだろう。それを一言だけでもいいから聞きたかった。会いに行くのに悠長に大人の許可を得ていたら、その間にあの男は干からびて死んでしまうかもしれなかったから、ワリードは一刻を争う思いで町の入り口に向かって必死で駆けて行った。

 幼い姿が彼方に消え去ったころ、やはり息子が家の中にいないことを確信した母が再び外へと顔を出した。薄いベールを顔にまとい、幼い息子の名を呼びながら街路を歩き回っていると、顔馴染みの細工師の女房が窓から顔を出して、彼女の息子がつい今しがた家の前の道を町の入り口に向かって一直線に駆けて行ったことを教えてくれる。親切な女に礼を言おうとして、彼女はふっと口を噤んだ。まだ日が暮れ始めるには時間があるのに、不自然に辺りが暗い気がする。
 奇妙に思って頭上を見上げ、思わず彼女は目を見開いた。ここしばらく全く見かけなかったものが急速に空を覆い、地表を翳らせていく。
「……神よ」
 水分をたっぷりと含んだ分厚い黒雲の群れを信じられない思いで見つめ、期待と興奮に打ち震える彼女を包み込むように、すぐに激しい雨が降り出した。近くから遠くから、一斉に歓喜の声が上がるのを、彼女はただ呆然と聞いていた。

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