神殺しの男【神殺しファルーク】

 どこからか地鳴りのような音が響く。ファルークの美貌に度肝を抜かれしばらく呆としていた長老は、ハッと音の出所を探って視線を四方にさまよわせ、そして眼前に展開し始めた異様な光景に気づき、驚きの声を上げた。
「な、何事だ……っ」
 ファルークも視線を真っ直ぐに据えたまま、無言でその様子を見守る。
 今までひっそりと静まり返っていた小さな祠が、ギチギチと鈍い音を立てて軋んでいた。その空っぽの内部に何か巨大なものを抱え込んでしまったかのように、外へと少しずつ膨張し、その無理な動きに耐えかねて壁面に大小のヒビが生じる。ぱらぱらと、白い塗料のかけらがいくつも剥がれ落ちた。無数のそのかけらをふわりと浮かび上がらせて、祠から焔のような光が揺らめき上る。
「おお……っ」
 歓喜と驚愕がない混ぜになった表情で、長老が反射的に祈るように胸元で手を組み合わせる。細かに振動する壁面を這いずり回りながら、帯状の赤い光が次々と浮かんでは消えていった。はじめは繊維状に細く不確かだったその光は、すぐに糸を()ったように寄り集まり絡み合って太さを増し、それがさらにまた束となって炎のように大きくうねりながら、蛇がちろちろと舌なめずりするような思わせぶりな動きでこちらに向かって伸びてくる。まっすぐに、ファルークの許へと。

――――お前は何だ

 ファルークの全身を朱色に染め上げながら、眼と鼻の先でぴたりとそれは動きを止めた。ぐるぐると渦巻く光の中に、なにものかが潜んでいる。それは金属のように耳障りな高さと、地鳴りのように不気味な低さで二重に鳴り響きながら、ファルークの頭の中に声なき声で直接語りかけてきた。

――――何者だ。蜜滴らす花々の芳しい香りか、ぬばたまの暗闇を照らす暁の明星か。なんと美しく麗しい。お前のようなものはみたことがない

 激しく興奮するように、光が赤から朱へ、朱から(だいだい)へと、めまぐるしくその色を変えていく。色素の薄い瞳にはその光はあまりにも強く、ファルークは眼底に痛みを覚えて反射的に手で顔を覆い隠した。眉間にははっきりと深い縦じわが浮かんでいたが、それは眼の痛みからと言うより、脳の奥底に直接響き渡った脈絡のない、しかも大仰すぎる賛辞の言葉に対しての嫌悪感からだ。
「……誰が花や星だ、気色悪い。どこから見てもただの人間でしかないだろうが」
 やさぐれた声でぼそりと呟くのを聞き、隣にいた長老が驚いた顔をする。
「人間? ここにおわすのはミダ神ではないのか!? 」
 要領を得ない問いかけに一瞬戸惑い、すぐに自分には耳を塞いでも聞こえてくるこの「声」がどうやら彼の耳にはまったく聞こえないらしいと気づいて、ファルークは苦々しく嘆息を漏らした。
 畜生なんて羨ましいと、自分とは感覚の異なる長老を心底妬んだ瞬間、矢が突き刺さるような勢いで頭の中を激しい反駁(はんばく)の「声」が駆け抜けた。耳を通る音ではないはずなのに鼓膜が裂けそうなその「声」の大きさに、ファルークは頭を思い切り殴られたような衝撃を受け、咄嗟に失神しそうになってしまう。

――――人だと! お前がただの人間だと!? ありえぬ。お前のようなものが、そのようなつまらぬ存在であるはずがない!

 断言されてカチンと来たファルークは、耳の痛みを堪えて喧嘩腰で言い返した。
「つまらなくって悪かったな! 何と言われようが、俺はただの人間だ。そこら辺に十把一からげで転がっているつまらない人間様なんだよ! 頭に響くからあまり耳元でギャンギャン騒ぐなっ」
  「き、きさま、何という物言いを」
 祠からあらわれた尊い光に向かっていきなり暴言を吐き出した祈祷師にぎょっとして、長老が額に青筋を立てながら不遜な物言いを咎めた。ファルークの美貌にすっかり骨抜きにされていた彼だが、信じる神への敬愛は何より大きいらしい。
 しかしそんな一途な信徒には目もくれず、ただファルークの存在のみに心奪われている神は、気を取り直したようにどこか上ずった「声」で促してきた。

――――お前が人だというのなら、何か願いがあって我の許に来たのだろう。何が願いだ。祈れ。我に祈りを捧げよ。お前の望むことは何でも叶えてみせよう。

 言いながら神とも思えぬ卑屈さで、(おもね)るようにぐるりと光がファルークの体に絡み付いてくる。長老が驚愕の声を上げるのにも構わず、光はますます激しく明滅し、うるさいくらいの勢いで「祈れ、祈れ」とせかしてきた。逃れることの出来ない眩しさと頭痛を催す「声」の大きさに、ファルークは苦しげにうめき声を上げた。その眉間に刻まれた縦じわは、怒りのあまりますます深さを増し、長老は『そんなしかめ面をして皺が残ったらどうする』と、思わず美貌を案じて場違いな心配に胸を痛めたが、かといって何が出来るはずもなく、ただ無為に見守っているしかない。
 実体がないとはいえ、意思あるものが全身に絡み付いてくる気色悪さと、激しい眼の痛みにファルークは本気でぶち切れそうになった。

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