神殺しの男【神殺しファルーク】
5
祭祀に使われる町の守護神を祀った泉へと続く道をたどりながら、二人はささやかな石畳の道の上を黙々と歩いた。簡素な石造りの家が建ち並ぶ辺りはもうとうに過ぎ、行きかう人の姿もまったく見かけない。傍らには相変わらず一定の距離を保って地下水路へと降りる穴が掘られており、枯れる寸前の果樹が弱々しく葉を伸ばして、辛うじて二人を午後の強い日差しから遮ってくれていた。目を凝らしてみても先にはどこまで似たような景色が続いているばかりで、泉まであとどれだけ歩くのか見当もつかない。ファルークはあまりにも長く続く沈黙と、悲壮な空気を背負った長老をすっかり持て余し、ふと思いついたことを聞いてみた。
「この水路は、一体どこまで続いているんだ?」
見渡してみても、視界に映るのは石ころや岩がごろごろと転がる、赤茶けて生命の気配の無い大地だけだ。こんな乾いた土地の一体どこから魔法のように水が流れてくるのか。
常々不思議に思っていたことを聞かせてもらおうと、指先で足元の地面を指し示すと、つられたように長老も視線を下に落とす。
「ハッザ山脈の雪解け水を運んでいると、一応伝えられておるな」
「ハッザ!? あんなところ、ただ歩いていっても数ヶ月はゆうにかかるぞ。そんなところまで地道に地面をくりぬいて行ったって言うのか」
ハッザは『全ての神がそこから生まれる』という伝説を持つ聖峰、ガイエ・ランガを擁するこの西大陸の最北に位置する連峰だ。連なった山々の山頂から雪が消えたことは有史以来ないと言い、その麓から水を引いてこようとする理屈は分かる。
だがこの町からハッザまでは、あまりに距離が離れすぎている。ましてハッザへと至る道は険路で知られており、たやすく工事に取り掛かれるような場所ではなかった。信じきれず唖然と口を開くファルークに、長老は苦笑する。
「あくまでそう伝えられているだけだ。本当はもっと、遥かに遠いところまで繋がっているとも言われている」
「ハッザよりも遠くに……? そんな馬鹿な。どれほど地道に作業したところで、そんなことが人間に可能なもんか」
大体、それなら本当はどこに通じていて、どこの水を引いているのか。ハッザの先は、神々の住まう場所だ。あまりに高く、険しすぎる連峰を越えて、その先まで行った者はこの世にいない。少なくともそう思われている。
一部の者たちはハッザまでで西大陸は終わり、その先はただ海が広がっているだけだと主張するが、それを確かめた者もいない。陸路でハッザを越えた者はなく、また海路で大陸の沿岸部からハッザの先に回り込もうとした者も、その付近の複雑に渦巻く海流や、海中から不規則に突き出す奇岩怪石に行く手を阻まれ、みな命を落としたという。
未だかつてどんな者も見たことが無いというハッザの先の地からこの水路の水が流れているなどと、およそ現実的な話とも思えなかった。
「……あるいは」
ぽつりと呟いた長老の乾いた声をかき消すように、砂漠の砂に熱せられた熱い風が吹きぬけて行った。年中その風に焼かれる長老の肌は炒った豆のように黒く、がさがさに荒れていた。
「あるいは本当に、この水路は人間が作ったものではないのかもしれん。この水路ができてからもう数百年が経つというが、言い伝えが残っておってな」
記憶の中をまさぐるように、その視線が少し遠いものになった。
「もともとこれはほんの13ルメルしかない、短い水路だったそうだ。この地の岩盤は固すぎて、わしらの祖先たちがどれほど必死に掘っても、作業は遅々として進まなかったという。あまりにもはかどらない作業に疲れ果て、夜に日を継いだ作業を休み、祖先たちはしばしの休息をとった。その翌朝のことだ」
大きな丘を登りきり、「もうすぐだ」と先を促しながら、長老は話を続ける。丘を登ってふいに開いた視界の先に、ぽつんと濃い緑色が集まった場所が見えた。泉を取り囲んで木々が群生しているのだと気づき、ファルークの足取りも自然と力強いものになった。
「当ての無い作業にくじけそうになる心を励まし、再び地中に潜って作業を再開しようとした男たちは驚いた。昨日までは身体を真っ直ぐにして歩くこともできないほど狭かった穴が、駱駝を並んで歩かせることができるほどの大きさになっているではないか。しかも、松明をかざせば最奥まで簡単に見通せた水路は、いつのまにか地底まで続くかと思うほどに長さを増し、冷たく清涼な水を滔々と湛えていたという」
「……夢物語だな」
およそ現実味の無い話に、ありえないと決め込んでファルークは肩をすくめたが、長老は自分の町に伝わる伝説を全くの虚構だとは思っていないようだった。
「ミダ神のお力だ。かの神が水を求めて足掻くわしらを見かね、一夜のうちに地中を駆け抜けて、はるか彼方の水源にまで水路を通してくださったのだと、代々この町では伝えられている。しかしこれにはもうひとつ、別の話もあってな……」
「別の話?」
何かを憚るように急に声を潜めた長老に、ファルークは首を傾げる。濃い緑色の、細長い剣のような葉をたくさん茂らせた木が次第に周囲に増え、二人が泉の間近まで来ていることを教えていた。
「水路を通したのは、得体の知れぬ魔物たちだという話だ。地中に住まう邪悪なるものたちが、地表に出てくる際の通路にするため、この水路を掘ったと言うのだ」
「……この水路は、地獄に繋がっているかもしれないって言うのか?」
さすがにぞっとしない思いで足元を見やる。いずれにせよ、人ならぬものの力を借りて掘られた水路であるということか。
「あくまで言い伝えだがな。その魔物たちが這い上がってこようとするのを、ミダ神の聖なるお力で食い止めているという話だ。……さて、もう着いたぞ」
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