[懐古]




 貴兄がこの手紙を讀んでゐるといふ事は、無事洋行を終えられたといふ事だらう。御目出度(おめでた)う。貴兄の凱旋を心から嬉しく思ふ。
 (さて)、小生は貴兄に謝らねばならない事が有る。もう貴兄も知つての事だらうが、小生は現在(いま)、肺を患つて伏せつてゐる。貴兄が戻る(まで) ()つか如何(だう)か判らないから、斯然(かうして)筆を()つた次第だ。小生の死は、貴兄の歸國の喜びに少なからず影を落とす事に為るだらう。最後迄迷惑を掛けて申し譯無い。貴兄の歸りを待たずに逝く小生を、だうか(ゆる)して欲しい。
 小生が肺病に(かか)つてゐる事が判つたのは、(じつ)は貴兄が出立して()ぐの事だ。貴兄に余計な心配を掛けたくなかつたから、葉山達には伏せておいて呉れる(やう)頼んで置いた。だうか彼等(かれら)を責めないでやつて呉れたまへ。彼等は貴兄に被恨(うらまれ)る事を承知で、小生の我侭な望みを()いて呉れたのだ。
 今、小生は療養を兼ねて群馬の自宅で暮らしてゐる。學生の頃のやうな生活の張りは無いが、穏やかで落ち着いた日々だ。最近は(もつぱ)ら貴兄が贈つて呉れた書物を讀んでゐる。特にマルクスの説は中々に面白い。ただ此処に語らふ()き貴兄の姿の無い事だけが寂しい。
 松永。貴兄不在の十月(とつき) (ほど)、小生は随分と貴兄の事を考へた。實家に戻つてから(など)は四六時中と云つても()い。(この)廿余年の人生で、小生は(つひ)(こひ)と云ふ物を經験しなひ(まま)だつたが、もしかしたら(これ)こそが戀だつたのかも知れないとさへ思ふ(くら)ゐだ。貴兄の凛とした(こゑ)が戀しい。貴兄と又語り合ひたい。熟々(つくづく)小生は貴兄を敬愛してゐるのだなア。松永、今、無性に貴兄に逢ひたい。

大正二年 十月一日

群馬、實家()て 相澤 紫

松永栄一郎殿



追伸、本日、夕暮の空に皓い月が浮かぶのを見た。何時か貴兄と見た夕暮だつた。将来に就いて語り合つた(あの)日を懐かしく思い出す。確か貴兄は官員に成ると云ひ、小生は學者に成ると云つたのだつた。小生の夢は終に叶はなかつたが、貴兄が(あの)日の願ひ通り、立派な官員に成る事を願つて止まない。
此度は彼の岸()て君を待つ

相澤 紫




――――――了――――――



前頁後記
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