白鳥奇譚

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 目が覚めた時、最初に感じたのは、背を覆う大きなぬくもりだった。絡み合ったままの脚にも、すっぽりと抱き込まれた肩にも、そのぬくもりはあった。
 どれほどの間こうしていたのか……背を抱いている男はまだ目覚める気配がない。隆嗣を起こさぬよう気を払い、常磐はそっと身を起こした。
 昼を回った頃なのか、高い日の光が霧を透かして庵の中まで降りそそいできていた。それはすなわちこの谷を閉ざす結界の効果が薄れてきていることを示していたが、今だけは、常磐もその豊かな光をいとしく感じた。
 見下ろす身体のそこここに朱の痕が散っている。この胸に……脚に、体中に、隆嗣が触れた。その痕をたどるように指をすべらせ、常磐は一人、言葉にはできぬ羞じらいと――これは自分でも驚いたことだったが――たしかにそこにあるよろこびにとまどい、身を揉んだ。
 傍らに眠る男の顔を見下ろす。その面には、至福とも呼べる表情が浮かんでいる。その表情が、少なからず自分との行為によってもたらされたものであるということが、うれしかった。
 自らを狩る、仇とも言える相手――。
 けれど、この三日を共に過ごし、向けられる素直な謝意に、自分はたしかに喜びを感じていた。男を見捨てられない己に対する苛立ちはやがて消え去り、替わりに、寄せられる好意へのとまどいが募った。ほとんど初めてと言っていい、こんなにもやさしくあたたかな感情を向けられたことは未だかつてなかった。常磐はとまどいつつもその甘美な感覚に酔い、そして、それ以上に強く、この男の内面に惹かれた。
 それは隆嗣の裡にある、異形の血を持つ己への嫌悪が、常磐の持つ孤独に強く響いたからかもしれない。
 人であって人とは異なる自分を (いと) う隆嗣の気持ちは、知りたくもない他者の心を知らされてしまう己を恨む常磐の気持ちに深く響いた。隆嗣の胸裡に広がる孤独の淵は、常磐も永らく身の内に抱え続けてきたものと同じ (くら) さだった。それでいて、里の人々を、家族を大切に思う隆嗣の心の強さは好ましく、反面、いっそうの孤独をも感じさせた。両親を、里人を、いとしく思えば思うほど、異形の己を忌避しなくてはならなくなるのに、彼はその孤独ですら、己の弱さだと自戒する強さを持っている。そんな彼に向かって傾いていく自らの心を、常磐はなすすべなく見つめた。
 いとしい、と――頬に触れた指先から流れ込んできた隆嗣の真情。その熱さ。
 流されてはならないと一度は拒絶したものの、触れられればあらがいようもなかった。なぜなら、常磐の心があらがうことを望まなかったから。
 唇をついばまれ、はじめて味わう口付の心地よさに膝が崩れた。この身体では自分はこんなにも敏感なのだと知り、これからなされる行為を思って、そら恐ろしくも感じた。山深く暮らしてきた常磐には、同族も含め、他者と身体を合わせた経験はない。だが、 この身体にはそうした経験の記憶があった(、、、、、、、、、、、、、、、、、、、) 。衣を解かれ、直接に肌に触れられて、あさましくもその快感を期待した自分がたまらなく恥ずかしかった。けれども、実際の隆嗣との行為は、その期待以上に甘美なよろこびに満ちていた。
 常磐は、傍らに眠る男の大きな手にそっと自分の手を重ねてみた。隆嗣の眠りは深いらしく、起き出す気配はない。
 この手に腹を撫でられ、胸先を摘まれた。初めての行為に怯え、身体が跳ねたが、隆嗣は少し驚いたように目を細めて「よいか」といとしげに笑んだ。両の胸の尖りは、摘まれた最初こそこそばゆいばかりであったが、執拗に弄られるうちにやがて堪えきれぬ疼きを生んだ。
「あ……」
 と、漏れた声を常磐は羞じた。だがそれは、隆嗣には喜ばしいものであったらしい。男が胸内で( () い……)と呟くのが 聞こえた(、、、、) 。その () にさらに羞じらい、常磐は左の食指を強く噛んだ。無粋な指はすぐに外され、濡れた声があふれ出た。首を振ってあらがうも、頭上にまとめ上げられてしまった両手は簡単に自由にはならなかった。
「常磐、聞かせよ」
「お許しを……恥ずかしゅうございます、……あ、あ……っ」
「そなたのその声が愛いのだ」
 意地の悪いことを言いながら、隆嗣の声はどこまでもやさしい笑みを含んでいた。
 そうして男は常磐のまだ若い芯を手のひらに包み、猫の尾を愛でるように撫で上げた。同時にねっとりと左の芽を (ねぶ) り上げられ、声を繕うすべもなく常磐は喘いだ。あえかな吐息の交じる嬌声は淫らがましく、常磐を余計にいたたまれなくさせる。だが、力の抜けきった身体は、咲き初めのつぼみを綻ばせようとする隆嗣の指をやすやすと (ゆる) してしまった。
「ああ……、あ、君様。君様……!」
 深い霧を通して差し込む白い光の中で常磐は (むせ) び泣き、せめても顔を隠そうとしたが、それすら許されなかった。
 隆嗣はただ、いとしげに微笑んで常磐の媚態を見下ろしている。思いがけない意地の悪さ。けれど、その裏で(愛い)、(いとしい)……途切れることなく流れ込んでくる真情に、常磐はさらに羞じらい、身を捩って悶えた。
 今まで彼が向けてくれていたあたたかな感情以上に熱を持ったそれ。同じように――いや、それ以上に熱い身体。降り注ぐように与えられる 睦言(むつごと) と熱のこもった愛撫、その両方に翻弄される。恥ずかしい以上に、なにか胸に詰まるような感情がこみあげてきて、常磐は知らず、瞳を潤ませた。
 奥を探る指は、一本、また一本と次第に増やされていく。その違和感をまぎらわすように若い 雄蘂(ゆうずい) を口に含まれ、凄艶な嬌声を上げて常磐は泣いた。触れ合う箇所から、自分の身体が蕩けていくのがわかる。やがてつぼみがしとどに露に濡れ、咲き綻んだ頃合いを見計らって、背後から隆嗣の男茎が潜り込んできた。
「……、……っ、君様っ、お許しを…………あ、ああっ」
 雄々しくそそり立った剣は鞘に巨きく、身体はずり上がって逃げを打つ。けれども、隆嗣はそれを許さず、やんわりと、それでいて強引に常磐の腰を引き戻し、更に芯を通そうとする。
「常磐、常磐。力を抜け」
「ああああっ」
 涙を振りこぼす常磐を背後から抱き上げ、隆嗣はそのすべらかな頬に口付けた。抱え上げられた身の内に隆嗣のすべてが収まる感覚に、常磐は声もなく背をしならせる。後腔は勝手に男根を食い締めてしまい、己の体内に息づく脈打ちをまざまざと感じずにいられない。
 だが、一瞬の恐慌が過ぎれば、後には、雄芯から、背に触れる厚い胸板から、肩を抱き込む長い腕から、包み込むように隆嗣の感情があふれ、流れ込んできて、常磐を満たした。
 それは、これまで一度も感じたことのない感覚だった。流れ込んでくるそれは今まで聞いてきたような意味をなす ことば(、、、) のかたちではなく、彼の () そのものだった。ことばにするならば「愛い」と――「いとしい」と、さきほどまで果てもなく繰り返されていたそれなのだろう。けれど、今流れ込んでくるのはもっと曖昧な……どこまでもやさしく、あたたかく、常磐にとっては限りなく心地よい、一つの小さな世界のようですらあった。
 触れ合った身体を通して、明け渡された彼のこころ。それは常磐のこころを包み込み、あやし、慈しむ。肉の交わりとはまるで逆だ。すべてを許されたことに初めはなかば怯えながら、やがておずおずと、常磐はそのぬくもりに身を任せた。そうするうちに、己のこころもまた彼の中へ溶け込んでいくように感じられた。
 肉と情と、両の交歓は常磐の中で激しく増幅し合い、凄まじい喜悦を生む。
 逞しい芯でゆるゆると菊花を掻き回されながら、はちきれんばかりに育った若い雄蘂を戒められ、常磐はのけぞって男の首筋に縋った。
「君様……君様、どうか……もう……気がふれてしまいます…………もうっ」
「どうしてほしい、常磐」
 低く寂びた声が残酷に先をうながす。消え入りそうな声を漏らし、常磐は怨じた。
「あ、あまりな……。あんまり、意地が悪くていらっしゃいます……っ」
「そうか。そうだな」
 隆嗣は微笑み、だが、腰の動きは止めぬまま、情欲をありありと乗せた寂声で耳朶に囁いた。
「おれは、そなたがいとしゅうてならんのだ」
 その声だけで、常磐の雄蘂からはまた一筋蜜が溢れ落ちる。
 法悦と惑乱の境地で常磐は請うた。
「どうか……隆嗣様、どうか、もう……お情けを……お情けをわたくしにくださりませ…………」
 その一言に、隆嗣はいとも満足げに笑んだ。
 一度深く口付けると、おもむろに腰を引き、肉の輪を嬲って常磐を存分に泣かせる。そうしてから、再び最奥まで一息に突き入れた。無残に花を散らす五浅一深に、常磐は身も世もなく乱れた。
 深く奥に注ぐ最後の一突きとともに、戒めを解かれた芯から蜜を振り散らし、二人、同時に果てた。随喜の悦びにうち震える常磐の白い喉元には、朱の花と白の蜜が散っていた――……。




(もう……)
 ――もう、離れられぬ。
 甘美な記憶を末までたどり、絶望的な気持ちで、常磐は傍らに眠る男を見下ろす。
 身体だけではない。こころの裡までを交わし合った。そんな相手を、いとおしく思わぬ者があろうか。
 最初から、殺すことも、置き去りにすることもできなかった。身体と心とを添わせれば、なおさら離れがたくなった。けれど、ここにいる限り、遠からぬうちに自分は殺されるだろう。常磐が張っためくらましの結界は、昨日あたりから急速に力を失いつつある。おそらく白鳥の里では、隆嗣を探して、僧か験者げんざに祈祷でもさせているにちがいない。
 サトリであるとわかれば殺される――それは今、常磐の中に限りない恋慕を掻き立てる、この男にしても同じことだ。人間はけして異形の存在を許しはしない。自分たちと異なるものを排除しなくては生きてはいけぬ、彼らもまた弱い。
 けれど、限りなく確信に近いその絶望すら、今はどうしようもないしあわせの遠く向こうにあった。
 込み上げるせつなさをこらえ、常磐はいとしい男を見下ろした。知らず、口元に笑みを浮かべている自分に気付き、微笑んだまま、一筋涙を零した。
 長く長く、孤独の時を生きてきた。あの永劫にも続くように思われる孤独に比べれば、死の絶望など恐れるまでもない。
 孤独に (なが) の時間を生きるより、他人と交わる歓びを知って死ぬ、そのほうがしあわせだと、まぎれもない本心から、常磐は思った。
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