続・大人の約束

「やーっ、みっちゃもこなきゃダメ―――!!」
 真尋と真純のユニゾンの絶叫が、朝のダイニングキッチンに響き渡った。
 間をおかず、ふたり揃って大声で泣き出す。すごい騒ぎだ。泣き声の合間を縫うようにして、FMを流しっぱなしにしているコンポからは、ワムのラストクリスマスが切れ切れに聞こえてくる。
 今日は祝日だった。仕事がなくて、朝寝をのんびり楽しんでいるご家庭も多いことだろう。隣近所にご迷惑がかかってしまうことを危惧し、永江佳幸(ながえ・よしゆき)は子どもたちに「あまり大きな声を出しちゃだめだ」と言い聞かせようとしたが、朝食をともにしている御田憲章(みた・のりあき)から先ほど衝撃発言を聞かされたばかりの双子は、永江の言葉に耳を貸してくれる素振りもない。むしろいっそう大きな声を上げて、わんわん泣きながら御田に取りすがる。
「みっちゃがいなきゃヤなの。みっちゃもいっしょにあしたケーキたべるのー」
 朝食前に顔を洗ったばかりなのに、真尋の顔はもう涙と鼻水でぐしょぐしょになっている。真純にいたっては、嘆きが大きすぎてまともな声が出てこないらしく、えぐえぐ言いながら懇願するように御田の腕を両腕で抱きしめていた。
 ――ついさっき、子どもたちが朝食を終えるのを見計らって、御田はふたりにこう告げたのだ。
「明日の晩とあさっての晩、俺はここに来られない」と。
 明日の晩とあさっての晩。すなわちクリスマスイブと、クリスマス当日だ。
 イブの夜は御田も加わった四人で盛大なクリスマスパーティーを開くものと信じ込んでいたらしい双子は、期待を裏切られて愕然とし、そしてショックのあまり火がついたように泣き出した。それはもう、すごい勢いで。
 このふたりの泣き声には慣れきっている永江でも、鼓膜をつんざくような絶叫に寝起きの頭が耐えきれず、ちょっとよろめいてしまう。まあそれだけふたりのショックも大きいということなのだろう。
「しかたないんだよ、御田の仕事は明日あさっては特に忙しいんだ。クリスマスは26日に、みんなでゆっくり祝おう。な?」
「いやーーーー!!!!」
 せっかくの永江の提案は、にべもなく子どもたちに全身で拒否されてしまう。
 まだこの幼さでは、仕事というものがどれだけ大事なものか、わからないのも仕方ない。かといって、ふたりのわがままを聞いてやるわけにもいかない。
 クリスマスとバレンタインは、ホストクラブにとって大事な書き入れどきだ。永江も昔はホストだったから、そのことは身に染みて知っている。大げさでなく、このシーズンの売り上げが店の経営を左右してしまうくらいだ。そして当然、数軒のホストクラブのオーナーである御田は、この時期フル稼働することとなる。
 すでにかなり忙しくなってきているらしく、ここ数日は会うたびに顔に浮き出る疲労の影が濃くなっていた。本当なら今もこんなところで朝食などにつきあわず、少しでも早く自分の部屋に戻って休みたいに決まっているのだ。なのに今日も仕事が終わるなりこの部屋を訪れて、こうして子どもたちと朝食をともにしてくれている。
 それだけでも十分感謝しなければいけないのだが、残念ながら、子どもたちにそんな理屈は通じない。
「あしたのよるじゃないとヤダ! あしたじゃないと、サンタさんがプレゼントをもってきてくれないんだよ。みっちゃもいてくれないとダメなのっ」
 ……プレゼントなら何日も前にデパートで買ってきて、永江のクロゼットの奥にとっくに準備してある。
 サンタなんて空想の産物でしかないんだから安心しなさいとつい教えてしまいそうになるが、ぐっとこらえた。夢は大事だ。子どもは夢を食べて大きくなる生き物なのだ。
 しかしだったらどう双子を説得しようかと永江が途方に暮れていると、強面に少しだけ困った表情をのぞかせた御田が、先ほどの発言以来閉ざしていた口をようやく開いた。
「そんなに泣くな。俺がいなくても、サンタはプレゼントを持ってきてくれる」
 おそらくは御田にできる精一杯の優しい口調で語りかけながら、自分の腕にしがみついている真純の頭をでかい掌でぐしゃぐしゃと撫で、食卓の隅に置いてあったティッシュで真尋の (はな) をかんでやって、ふたりの目を交互に覗き込む。
「しあさってはきっと一緒にいてやるから。それまで我慢できるな?」
 聞かれた双子は涙と鼻水を垂れ流しにしたまま、ぐうっと息をのみ込んだ。
 負けず嫌いのこの双子は、こういう風に聞かれると弱い。「我慢してくれ」といわれたら即座に「いや!」と叫び返してくるだろうが、「我慢できるか」と聞かれると、彼らの性格上、意地でも「できない」とはいえないのだ。
 案の定、散々葛藤した末に、悔しそうな顔で真尋が「……うん、わかった」と小さく一度頷いた。真純は御田の腕に取りすがったまま、「ぜったいだよ。ぜったいやくそくだよっ」と指切りをせがんだが、御田が応じてやるとようやく機嫌をなおし、にこっと微笑む。暖かい日差しの中でほころぶ、タンポポみたいな愛らしい笑顔だった。そんな顔は御田なんかではなく、どうせならお父さんに向けてほしいと、永江は小さな嫉妬を覚えてしまう。
 それにしても、御田の手を借りるわけにはいかない状況で、明日あさってをいったいどう乗り切ろうか。
 考えただけで暗澹たる気分になり、朝食の皿を片づけながら、永江は御田に気づかれないように小さなため息をついた。

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