怒涛の一夜が明け、翌朝早瀬は腰の痛みに耐えかねて、ふらつきながら登校した。
結局昨夜も頭がいっぱいだわ、そのうえ体の節々が痛むだわで、一昨日に引き続きまともに眠ることができなかった。返す返すも土岐のことが恨めしい。
今朝も当然のように教室内で土岐と顔を合わせたが、いつもと特に変わった様子もなかった。ただこちらを見る目が若干優しくなったように感じたのは、そう思いこみたい気持ちの産物だろうか。
体育館に全校生徒が集められ始業式が始まってからも、体育座りを許されたのをいいことに、校長のありがたくも長ったらしい訓辞を子守唄に、ついうとうとしてしまう。
しかしこの座り方は、特殊な場所に痛みを抱えている今の早瀬には思いのほか辛かった。こっくりと体が揺らぐたび、あらぬ場所に痛みが走り、悲鳴を上げそうになりながら目を覚ましてしまう。
何度めかにそうして目を覚ましたとき、体育館のステージ上には、ちょうど生徒会長の島村が上がるところだった。司会進行役の教諭が生徒会から何ごとか発表があると告げ、島村がマイクスタンドの前に立つ。
どうせ大した発表でもないんだろうと再び目を閉じかけた早瀬だが、島村に続いてゆっくりと壇上に上がろうとしている男の姿に、ハッと顔を上げた。
落ち着き払った様子で島村と肩を並べたのは、誰あろう、土岐だった。顔を寄せて二人で短く何か話し合い、頷きあってから、島村がマイクに向かいはっきりとした声でしゃべり出す。
「だいぶ先の話にはなりますが……」
いったい何事だとステージを見上げた生徒たちに、一言一言区切るようにしながら島村は語りかけた。
「次回の文化祭において、当校と、八角女子学園との間で、一部合同の企画を催すこととなりました」
突然の思いがけない報告に、その場にいた生徒たちが一斉にどよめき出す。まして女子校と合同の企画と聞き、普段他校の女子と交流するきっかけも持てないでいる大半の男子生徒たちは、目の色を変えて島村の話に聞き入った。
一方、同じく島村の話を聞いていた早瀬は、「八角」の名になにやら不吉な予感を感じて眉を寄せる。
「企画の内容についてはこれから両校で詳しく話し合うこととなりますが、これを機会に両校の交流を活発なものとし、ひいては両校の活性化をはかり、また今回の企画が次回の文化祭で成功を収めた暁には、この行事の恒例化、さらに将来的には互いに支障のない範囲で合同文化祭のようなものを執り行うことにしたいと、先方の生徒会長から、当校の文化祭実行委員長に先日申し入れがありました」
平たく言ってしまえば今後文化祭を一緒に盛り上げ、楽しまないかという女子校からの思いがけないお誘いに、生徒たちが「うおー!」と歓喜の雄叫びを上げた。
喜色満面、次々に立ち上がると、拳を振り上げながら「し・まむら!」「し・まむら!」と、声を合わせて生徒会長コールまで始める。まだ言いたいことがあるらしい島村の言葉も打ち消してしまうほどの凄まじい大合唱だ。
場内が大変な活況を呈す中、一人興奮の
坩堝
から取り残されながら、早瀬は愕然と島村の話を反芻していた。
八角の生徒会長から、この星辰高校の文化祭実行委員長に先日申し入れがあったと、島村はたった今言った。これはつまりアカネが土岐に対して、申し入れをしたと言うことで……。
頭の中に、色気もそっけもない封筒を土岐に差し出していたアカネの姿がよぎる。ひょっとしてあの手紙は別にラブレターでもなんでもなく、アカネのもとに最近しばしば土岐が通っていたのも、文化祭の話を打ち合わせるためだったということか?
ということは、ということはつまり、結論を一言で言ってしまえば……。
事態を整理しようと懸命に頭を働かせていると、横合いから誰かにぽんと肩を叩かれた。
「そろそろ腹をくくったか?」
「!?」
場内の混乱に紛れ、ステージから降りてきていた土岐が、いつの間にかそこにいた。
「俺の気持ちは昨日もう言ったぞ。お前の本音もいい加減聞かせて欲しいところだが」
唇に笑みをひらめかせて土岐が言ってきたが、ようやく彼の講じた企みが見えてきた早瀬にとっては、もはやそれどころではない。
その取り澄ました顔を思い切り殴りつけてやりたくて、握りしめた拳がぶるぶる震えた。
「お前……、お前、アカネと付き合ってるって言ってたのは嘘か!?」
ようやくたどりついた結論を突きつけてやると、土岐は軽く肩をすくめてみせた。
「付き合っているぞ。星辰高校の文化祭実行委員長として、八角女子学園の生徒会長とは、今回の企画を永続的に維持できるよう、今後とも末永く付き合っていくつもりだ。もっとも……」
そこでいったん区切って、白々しく付け足す。
「もっとも彼女と恋人として付き合った記憶は一切ないが」
――――は、はめられた!
土岐の思惑通りに誤解し、振り回されてしまった自分を知り、早瀬は髪をかきむしりながら、今さらしても仕方のない抗議をした。
「あの子が手紙を渡してきたとき、ひとこと合同祭の申し入れだったって言えばよかったじゃねえか!」
そうすればこうまで振り回され、気持ちをかき乱されることもなかったはずなのにと歯噛みする。いいようにもてあそばれた上、バックバージンまで奪われてしまったのかと思うと、屈辱に目の前が暗くなった。
「そこまで気が回らなかったな」
「こ、この野郎……っ」
絶対に嘘だと分かる台詞に早瀬はとうとう拳を振り上げたが、本調子でない体はいかんともしがたく、たやすく土岐に腕を取られてしまった。ぐいっと体を引き寄せられ、耳元にもう一度、先ほどと同じ問いを繰り返される。
「で、お前の本音は? 俺のことが好きなんだろう」
質問のはずなのにしっかり断言してくる土岐に、早瀬はここがどこであるかも忘れ、逆上して叫んだ。
「誰が、誰がお前になんか惚れるか! 好きだなんて言葉、俺は絶対に、一生、言わないからな――――!!!」
本気で言ったのに、叫ばれた男はおかしそうに笑うだけだった。そしてまだ怒りで震えている早瀬に、自信たっぷりにこう囁く。
「まあ、お前は態度ですべてを語っているからな。俺が好きでしかたないって」
告白なんて必要ない。言葉に頼らなくたって、伝わる気持ちもあるのだから。
―END―
Copyright(c) 2009 SukumoAtsumi All rights reserved.