恋は語らず -Chapter.1-

1

「また、手紙受け取ってきたのか!? ユキ」
 放課後の教室中に響く早瀬武士(はやせ・たけし)の大声を、にこにこと、持ち前の純真無垢としか形容できない笑顔で受け止めて、安永行成(やすなが・ゆきなり)がこっくりと頷いた。その小さな手には、愛想も素っ気もない、白くて長細い封筒が握られている。
「もしかしてさっきの昼休み、教室にいなかったのは、またそれのせいか?」
早瀬と対照的に落ち着き払った声で聞いてきたのは、細いフレームの眼鏡が映える大人びた顔立ちをした土岐雅義(とき・まさよし)だ。秋のやわらかい日差しが差し込む窓際の指定席で机に片肘を突き、読んでいた本から顔だけを上げて聞く。
「そうだけど、俺言わなかったっけ? 春日井(かすがい)と一緒に昼ご飯食べるって」
「言ってねえよ。ていうか、飯まで一緒に食ってきたのか、お前……」
 あまりにもケロリと言われてしまい、脱力して早瀬は行成の机に突っ伏した。
「邪魔だよー、早瀬。どいてよ」
 そんな早瀬の体を邪魔そうに押しのけ、机の中から無地の封筒と便箋を引っ張り出すと、行成はなにか文章をしたため始めた。小柄な体に見合わない堂々とした字で、封筒に「春日井柊二(しゅうじ)様」と大書する。それを見た早瀬の溜め息と、土岐の感心したような声が重なった。
「また、律義に春日井に返事を書くのか……。ユキ」
「それにしても、いつ見ても達筆だな、ユキは」
 たしかに、行成の流れるような筆跡は、シャーペンで書いているとは思えないほどハネもはらいも正確で、とても若干十六歳の高校二年生が書きそうな字ではなかった。しかも行成は無邪気な性格を映したように幼い外見をしているので、余計に書く字が不釣り合いに見える。褒められた行成は誇らしげに胸を反らせた。
「だーって、俺の名前、サンセキだかサンピツだかの人からもらったものだもーん」
「行成なら三蹟の一人だ。平安時代の書の名人、嵯峨天皇・空海・橘 逸勢(はやなり) の三筆に対して称せられたもので、藤原行成の他、小野 道風(とうふう) 、藤原 佐理(すけまさ) の三人を総称して三蹟という。自分の名前の由来になった人物のことくらい、ちゃんと覚えておけ」
 こういうことには強い土岐が鋭く突っ込んだのに、そういえばそうだったっけと行成が調子よく頷く。
「そうそう、それでそのユキナリさんって、セーショーナゴンの恋人だったんでしょ?」
「セーショー・ナゴンじゃない、清・少納言だ。区切りが違う。清原家の出身だから、『清』の字を使って、『清少納言』と言うんだ。発音は正確にしろ」
「じゃあ、『少納言』の部分にはどんな由来があるの?」
「さあ」
「えー、土岐にも分からないことがあるの?」
「本当に分かってないんだから仕方ないだろう。彼女の近い身内には少納言の位に就いていた人物はいなくて」
「土岐、そんなことはこの際どうでもいいから……」
 放っておけばまだまだ続きそうな土岐の蘊蓄を、その肩に手を置いて早瀬が止める。ここで止めておかないと、土岐は際限無く語り続ける厄介な性質を持っている。普段溜めに溜めた知識の吐きだしどころを、求めているのかもしれない。
 一方、行成は持ち前のマイペースぶりを発揮して、会話の間中もよどみなくペンを走らせていた。意外に器用なやつなのだ。しかしその文章にはまったく脈絡が無い。先日家で見たDVDの感想だの、将来行ってみたい外国の島の歴史だの、はたで見ている限りではこの友人が一体なにを伝えたいのか、早瀬にも土岐にも全く分からなかった。
「それをまた春日井に渡しに行くんだよな……?」
 恐る恐る早瀬が尋ねると、行成はためらいもなく首を縦にふる。
「ここのところ毎日だな。もしかして本気で春日井と付き合う気になったのか?」
 土岐のストレートな問いかけに、早瀬は思わずゲッと顔を引きつらせたが、尋ねられた当の行成は動揺した素振りもない。ふるふると首を横にふって否定する。
「そういうわけじゃないけどさ、とりあえずお友達から交際を始めているところかな」
「交際なんか始めるな! お友達ならここにいるだろうが、ユキ――――!!」
 早瀬の絶叫がむなしく教室に響き渡った。

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