薄い瞼を閉ざして寝入る牧野の顔を、庄司は暗闇の中でじっと見つめていた。静かな寝息を聞き取るのに邪魔で、自分の呼吸の音さえわずらわしく思える。
そっと手を伸ばして触れてみると、短い黒髪はまだ水気を含んで湿っていた。牧野の眠りを妨げることが無いように慎重に慎重に、指先だけで髪を撫でる。湿り気のせいで幾筋かがまとまっているその髪は、庄司の指先に冷たくて滑らかな、どこか金属に似た手触りを残した。
閉ざされた瞼の奥で、牧野は今何を夢見ているのだろうか。失った恋を、夢の中で偲んでいるのだろうか。
不意に、懐かしい舞台の台詞が耳に蘇る。張りのある牧野の声が、永遠の愛を過去の恋人に誓っていた、あの台詞。自分の存在を硬い石の中に閉じ込められた虫に例えて吐き出された、どうしようもなく独りよがりで、例えようなく哀しい告白の言葉。
『――――一度石の中に閉じ込められた虫は、二度と外界に出ることはない。外に出られるのは、自分を閉じ込めている美しい石が割れた瞬間だけだ。その時には、中に閉じ込められた虫もともに、粉々になって砕け散るしかない。それが俺の運命なんだよ』
……その儚さを知りながら、男は頑なに自分だけの愛を守り続ける。それはその愛こそが彼を守り、その愛無くしては彼自身が息絶えてしまうことを知っているからだ。呼吸さえできなくなっても、彼は美しい夢を見続けることを選ぶ。薄い黄に色づいた、もろく儚い永遠の夢を。
牧野がまるで歌うように言った台詞は、そのまま今の牧野自身の気持ちを表しているように、庄司には思えた。
庄司がたとえどんなに牧野の存在を手に入れたいと思っても、無理に手を伸ばした瞬間に、彼もまた粉々に壊れてしまうのだろうか。心ごと、彼を抱きしめることは決して叶わない望みなのだろうか。
その答えを問うように、庄司は暗がりでひとり、眠る牧野をいつまでも見つめ続けた。
――後編に続く――
Copyright(c) 2009 SukumoAtsumi All rights reserved.