永遠までの一秒

11

 ――後ろ手に楽屋の扉を閉めて、牧野は鞄の中から携帯電話を取り出した。
 壁の時計をちらりと見上げると、時刻は九時をちょうど回った頃で、この時間ならば電話をしてもさほど問題はないはずだと、登録してある番号を呼び出す。もうすっかり指に馴染んでしまった操作だった。
 仕事はすでに終わっていたのか、三回めのコールで相手は電話に出た。いつも通り「俺だ」と告げてから話を切り出す。
「美穂里とのこと、なんとか片がつきそうだ。離婚するとなったら、またマスコミがうるさくなると思うが……」
 美穂里の家を訪れた日、やはり牧野にはマスコミが張り付いていたらしい。その週のうちには、家に入ろうとする牧野の姿をとらえた写真と、楽屋での騒ぎのことを記事にした週刊誌が発売になり、これは単なる夫婦喧嘩なのかと、憶測交じりの文章で散々書きたてられた。
 その記事が呼び水となって、その後すぐに牧野が自宅から離れたマンションで現在暮らしていることが明らかになると、牧野の周囲はさらに騒がしくなった。
 このまま彼らを放っておいて好き放題騒がせておくよりは、いっそなるべく早くに離婚届を提出し、はっきりと分かりやすい形をマスコミに突きつけて、さっさと騒動に終止符を打ったほうがいいだろうと、倉橋をはじめ、事務所側とも意見が一致している。早ければ数日中には離婚届を提出するつもりだった。
 騒動が収まるまで、まだ当分庄司に会うことはできないが、それでもこの先の道筋がはっきりと見えたことで、牧野の声は自然と明るくなる。
「まあ、これからもしばらくややこしいことは色々あるだろうけど、わりと早い時期になんとかなりそうだ」
 電話の向こうで庄司から、もう十分長いこと会えずにいるじゃないですかと、反論が返ってくる。その声を聞くだけで、じんわりと体の奥が熱くなるのを感じながら、牧野は戯れに言い放った。
「会えない間に、せいぜい俺への愛を深めていろ」
 高飛車な台詞に庄司は苦笑したようだったが、その言葉はそのまま牧野自身に返ってくる気がした。最後に牧野のマンションで会った日から、もうずいぶん長いこと顔を見ていない。
かつてのように自ら庄司に会わないようにしているのではなく、会いたくても会えないでいるのだから、相手を恋しく思う気持ちはひとしおだった。
 牧野の言葉に庄司は『努力します』とふざけた返事をしながら、電話口でぼやく。
『早く牧野さんに会いたいな』
「我慢しろ」
『必死にこらえていますよ。この先もずっと、あなたと一緒にいられるように』
 笑いながらの言葉だったが、その声には真剣みがあった。求められる喜びに鼓動が高鳴る。今すぐこの男と、キスして抱き合いたいと思った。
 受話器越しに聞こえてくる相手のかすかな吐息を、自分の唇に感じてみたい。そう思ったのはお互い同じで、二人は受話器越しに小さくキスをかわした。
 庄司の言うように、ずっと一緒にいられればいい。もう二度と牧野は別離の辛さなど味わいたくなかったし、庄司にも味わわせたくなかった。
 自分たちの関係は、美穂里が夢見たような美しく均整の取れた、誰にでも誇れるようなものではない。だが、その形がどんなにいびつなものだろうが、今度こそ牧野はこの愛を大事にしたいと思う。
そして庄司もまた、同じことを思ってくれていることが、受話器越しのキスからはっきりと伝わってくる。
 一秒だけのキスが与えてくれる、一瞬だけの確信。
 ならば、その一秒をずっと繰り返していきたいと思う。常に相手の思いを感じながら過ごしていけば、いつか永遠にまで、この思いが届く日が来るのだろうか。
 そんなことを考えながら、牧野はもう一度受話器にキスを落とした。
 ――こんな瞬間の繰り返しが、ずっと未来へと繋がっていけばいい。
 この一秒が永遠にまで続く一秒であればいいと、牧野はそっと瞳を閉じて願った。

―END―

最後までお楽しみいただき、ありがとうございました。
ご感想などありましたら、一言なりとお聞かせいただければ幸いです。


-Powered by HTML DWARF-