[懐古]




 (わたし)の祖父が亡くなつたのは、年明けて間も無い小春日和の午後、遅々(うらうら)と暖かな()()たる自室での事だつた。九十二歳の大往生だつた。
 祖父の臨終に立ち合つたのは、他でもない、()の私だ。偶々(たまたま)歸省(きせい)で祖父を(たず)ね、部屋の縁側から庭を眺めてゐた私に祖父は云つた。「今日は、月が出てゐるだらうか」。
 真昼の事だつたので、私は確かめもせずに「(いいえ)」と答えた。祖父は静かに「()うか」と頷き、また静かにかう云つた。「私が死んだら、お前、あの文箱(ふばこ)の中身も一緒に焼いて()れまいか」。
 私が分りましたと答えると、祖父は安堵したやうに息を()き、其限(それきり) (じつ)と目を閉じた。(それ)が祖父と交わした最期の言葉と()つた。
 祖父が(のこ)した文箱を改めると、中には草臥(くたび)れた古い封書が何通かと、冩眞(しやしん)が壱枚入つてゐた。若き祖父と(その)友人らしき青年が數人(すうにん)(かしこ)まつて映つてゐる。私は冩眞の() の方を祖父の胸に當てるやうにして、封書と共に抱かせた。 (それ)()は焼かれて灰に為り、祖父と混ざつて天に昇つた。
 その内容を、私は知らない。



*  *  *



 手紙を出すといい(なが)ら、すつかり遅くなつて仕舞(しま)つた。貴君は元氣にしてゐるだらう()
 今月頭に(やうや)倫敦(ロンドン)に入り、小生は今、大學の圖書館で(この)手紙を書いてゐる。此方(こちら)の生活はまずまず快適だ。スモツグで壱日外に出られぬ日も有るが、左様(そん)な日は家中で讀書(など)して(すご)してゐる。勉強する()き事が沢山有るので(ちつ)とも退屈しないが、此処(ここ)に貴君の姿が無い事(だけ)が残念だ。
 倫敦は今、雪の季節だ。光の春と(いへど)も、東京の夜は冷えるだらう。身體(からだ)には呉々(くれぐれ)も氣を附けて。

西暦一九一二年 二月十三日

於倫敦大學附属圖書館 松永栄一郎
相澤 紫殿






 再び無沙汰をして申し(わけ)ない。此処(ここ)倫敦から貴君に二度目の手紙を書く。貴君は元氣にしてゐるだらうか。
 先日、教授に御供(おとも)して、初めて此方(こちら)の舞踏会に出席した。此方の舞踏会は、何から何迄(なにまで)日本と違つてゐて驚いた。()舞踏室(ホウル)(はなは)だ豪奢である。紳士淑女の衣装も大層華やかだ。円舞曲(ワルツ)を一曲踊つたが、相手の女性の背の高いのには辟易した。此方の女性は皆、白大理石の(はだ)をして大変美しいが、慎しみ深さに()ける(ところ)白璧微瑕(はくへきのびか)だと小生は感ずる。
 何やら酷く浮かれた内容になつて仕舞つたが、舞踏会の際に撮つた冩眞が出来上がつたので同封した。小生の右に立つ紳士が、師のロバート・ウエールシユ博士である。師の薫陶を(うけ)て、小生も益々精進したい。
 (それ)では乱筆乱文、失禮(しつれい)する。

西暦一九一二年 三月十日

松永栄一郎
相澤 紫殿






 四月に入り、倫敦はすつかり(すご)容易(やす)くなつてきた。貴君の()る東京は如何様(いかやう)だらう()と思いを()せる。貴君は(さは)り無く(すご)してゐるだらう()
 先日は級友と共に湖水地方()で足を伸ばした。花々と緑と湖が何処(どこ) (まで)も続く大変に美しい(ところ)だ。馬を走らせると尚更心地()い。何時(いつ)か貴君と共に行つてみたいと思ふ。貴君は屹度(きつと) ()の風景が氣に入るだらうと思ふので。
 先日、シテイの古書店で何冊か本を買い求めた。デモクラシイに()いての本だ。小生は既に讀了したので、謹んで貴君に譲らうと思ふ。場所取りだらうが受け取つて()れると有難い。

西暦一九一二年 四月十八日

松永栄一郎
相澤 紫殿






 紫、元氣にしてゐるか。今日(けふ)(あらため)て貴君に報告が有る。
 (かね)てから話に上つてゐたのだが、此度(このたび)、教授の推薦で研究員試験を受験する運びとなつた。受かれば後一年程留學期間が延びる事に為るだらう。貴君に会へない時間が延びるのは小生にとつても(まこと)に辛いが、歸國後の為にも(ここ)(しつ)かり勉強して置きたいと思ふ。
 (この)手紙は何時(いつ) (ごろ)貴君に届くのだらうか。貴君からの返事を待つてゐる。

西暦一九一二年 六月十七日

松永栄一郎
相澤 紫殿






sakurasaku matsunaga 1912/08/15/18:23/LDN



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