【名残の舞】



宗家を譲って今思うことというたら、まだまだ、能の世界は果てしなく広く深いということです。たとえば面ひとつ取ってみても、その中に一つひとつ世界がある。最後に舞わしてもらいました「松風」、あれは凄かったですなぁ。あの時かけさしてもらいました小面こおもては、とある方からの頂きものでしたが、こう、舞っとる最中に松風の霊に乗り移られたような、自分が行平ゆきひらはんに恋しとるような、そんなえも言われん気分にさせてもらいましたわ。面のわずかな穴から見える松がほんまに行平はんのように見えて、恋しゅうて恋しゅうて、しょうがなくなりますねん。あんな能は、ほんま、面がつくるんですやろなぁ。

御薗流みそのりゅう機関誌『芸苑』五十三号より



夜半過ぎ、時雨の音がやわらいだ気がした。膝に抱いていた面と装束を手にしたまま、男は立ちあがると部屋の障子を細く開けた。
(やんだか)
さきほどまで屋根を叩いていた雨音は既にやみ、今は庭の松が嫋嫋と寂しく枝を鳴らすばかりだ。風が枝を揺らすたびに、針のような葉の先から雨のしずくが散り落ちていく。
男は広く障子を開け放ち、框の上に腰を下ろした。あいにくと空に月は無いが、かわりに灯篭の明かりが枯山水の庭園を照らしだしている。そのまま障子の桟に背中を預けると、男は一つ、大きく息を吐いた。
久方ぶりに能の舞台に立った。能役者として、また坂戸さかと御薗流宗家そうけとして、これが最後と決めた舞台だった。その後の宴席もあり、病身は疲労に沈んでいる。
だが、心の方はというと、まるで夢のような幸福の余韻に震えていた。身体がふわりふわりと浮くような、ひだまりの中で微睡むような、現実感のない、ひどく甘美な夢の余韻だ。
その余韻をいとおしむように、男は膝に広げた装束を掻き寄せた。たおやかな微笑を浮かべる小面を、強く胸に掻き抱く。
顔を埋めた装束からは、甘く懐かしい香と樟脳の薫りがぷんと立ちのぼった。


能をたしなむ者ならばだれにでも、忘れられない一番がある。御薗流宗家・坂戸晴臣はるおみにとってそれは十五の春、養成会で兄の景臣かげおみが舞った「松風」だった。
「松風」は何百とある能の中でも最もよく知られた名作だ。在原行平ありわらのゆきひらの寵を享けた松風、村雨という汐汲しおくみのあま海女が、都に戻って亡くなった行平に寄せる恋慕の情を謡う。される機会も群を抜いて多く、熟達した能役者がこの能を舞うのを晴臣も数限りなく見てきた。
能において芸を形作るものが役者の才能だとすれば、その芸を熟成させるのは修練にかけた年月である。地謡の一人として、また観客として、震えがくるほど素晴らしい舞台にも幾度か立ち会ったことがあった。その意味でいえば、すばらしい舞台、すばらしい芸というものは、また別にも挙げることができるだろう。だが、若干十七の兄が舞った「松風」は、そのどれとも違った意味でこの三十年余り、晴臣の脳裏に残り続けてきたのだった。
桜の花の舞う春の養成会、たった数分の仕舞だった。当然、面もかけぬ直面ひためんの舞―――だが客席から見つめた舞台の兄は、まぎれもなく美しく、かなしく、またけなげでありながらも、ゾッとするほどの情念を滾らせた本物の「女」として晴臣の眼に映った。
今思えば、あれは年若い頃の兄だからこその美しさだったのかもしれない。優美な色の濃い三番目ものとはいえ、本来ならば霊的存在である松風は、生々しい人間の女ではない。未熟さゆえの「女」だったのかもしれないが、通う血の熱さを感じさせる兄の松風は、まだ十五の少年だった晴臣の眼には、どの舞よりも美しく衝撃的だった。
景臣は、先代宗家・坂戸義臣よしおみが祇園の芸妓に生ませた子どもだった。「色事もまた芸の内」―――そんな古い悪習が罷り通るこの世界ではとくにめずらしいことでもない。だが、坂戸の家における景臣の立場は、一貫して妾腹というものだった。それは本妻である晴臣の母への遠慮であり、また母の兄である日舞鷺流さぎりゅう家元への遠慮だったのだろう。二歳年上の兄に「かげ」の音を付け、本妻の子に「晴」の字を宛てたのは、父である先代自身だったという。
だが、少なくとも幼い時の景臣と晴臣とは、分け隔てなく育てられた。同じ屋敷の中に部屋を与えられ、幼、小、中、高と同じ私学へ通った。こと芸事に関しては、この世界には「血よりも芸」という独特の不文律がある。上背のわりに腰の据わった立ち居振舞いと整った顔立ちは兄弟に共通していたが、景臣の舞には玄人の母から受け継いだ生来の華やかさがあり、晴臣の舞には深窓の令嬢である母から受け継いだ楚々とした風情があった。
十七の春―――
「女と見まごうような歳でもあらへんやろにな…」
独りごち、膝に広げた装束の上におもてを下ろして、晴臣は盆から徳利と猪口を取り上げた。
医者からとめられようと、この一酌がどれほど身体を蝕もうと、呑みたい時には呑む。こういう自己中心的な傍若無人さは、父から受け継いだ血かもしれぬ。最初の一酌を面にかざすと、晴臣は一息にそれをあおった。


十七の春、兄は既に立派な男だった。
思えば、幼い頃から、晴臣は一度として兄につらくあたられた覚えがない。温厚でやさしく、常に兄であることを意識しながらも、自らが妾腹であることをわきまえ、出過ぎたことはせず、また本妻腹の晴臣を厭うこともせず、芸の道を志す者としていつも謙虚に、理性的に振舞う人だった。家中ではだれもはっきりと口に出すことはしなかったが、妾腹であることが彼に大人であることを強いていたのかもしれない。もっとも晴臣は兄の複雑な立場を思い遣りながらも、まだそこまで兄の胸中を理解できるほど大人ではなかった。ただ純粋に年上の男として、見目よく、頭もよく、人格のできた兄をひたすら尊敬していたにすぎない。
だが、だからこそ、あの養成会で景臣が見せた「松風」は晴臣にとって衝撃だった。去った恋人をけなげに待ち続けながらも、恋しさに耐え切れず物狂いの舞を舞う松風の、あのしたたるような艶やかさ―――
直面の、見慣れた兄の顔が、瞬間、まぎれもなく色めいた「女」に見えた。あれはいけない。思うのに、目をそらすことすら許されないとでもいうように、視線は動かなかった。
晴臣は、なすすべもなく呆然とそれを見つめ続けた。
身体の奥が疼いていた。舞台の上に立つ寸前、橋掛かりに足を踏み出す瞬間のような、言葉にしがたい、身体の表面をはいずるような興奮が身体中でざわめいていた。それとともに倒錯的な官能が渾然一体となって、十五の若い身体を席巻した。それに身体をゆだねる以外、どうすることができただろうか。
演目が変わると同時に逃げるように庭に出て、衝動に突き動かされるまま、「松風」を舞った。今見たばかりの兄の姿が脳裏から離れなかった。あの美しさ。あの艶やかさ。それを目蓋に思い浮かべながら、ひたすらに舞い続けた。
「…晴臣?」
舞台から戻ってきた兄は、庭で一人取り憑かれたように舞う弟の姿に驚いたようだった。
「兄さん」
「ああ、すまない、邪魔をした…」
振り返ると、景臣ははっと虚を突かれたような顔をした。声をかけはしたものの、弟の一途な気勢を殺いでしまったことを悔やんでいるようにも見えた。それが証拠に、その後はじっと黙ったまま、自らも晴臣の元まで下りてきて、かたわらで舞い続ける弟の姿を目を細めて見つめていた。
「晴臣、おまえ、本当に優雅に舞うねぇ」
舞い疲れて腕を下ろした頃、兄はそう言って晴臣の舞を褒めてくれたものだ。
「なんや、こうして見とると、優美っちゅう言葉は、おまえのためにあるような気がしてくる」
「何言うとんのや、兄さん、さっきの「松風」、震えがするほどきれいやったのに」
景臣は困ったような、どこか痛むような顔をして、晴臣の言葉を聞いていた。
「そうか、きれいか…」
どうしてこんな顔をするのだろう。まるで、どこか苦しいような。疑問に思ったが、常にない兄の雰囲気に、どうしても訊くことができなかった。
「おれのはなぁ…、おれのは」
頭上の桜を振り仰ぎ、景臣はそこで言葉を切った。それきり晴臣の耳に入らぬままになった呟きは、「おれのはあかん」と言ったようにも見えた。
「兄さん」
不意に不安かられて呼ぶと、景臣はこちらを向いてにこりと笑った。もう、いつもの兄の顔だった。
兄はおもむろに晴臣の両手をとり、扇を握るその手をじっと見つめた。距離を詰めた兄の身体からは沈香の薫りがほのかに匂い立ち、桜の花ははらはらと落ちて、見上げた兄の顔を彩っていた。
「おまえの芸はほんまもんや。よう鍛錬し。苦しゅうても、泣いても、舞うんやで。おまえはおれの自慢の弟や。おまえの舞、おれはほんま、好きやさかいに」
―――よう鍛錬し。
晴臣の両の手首を跡が残るほど強く握って、景臣は繰り返し言い募った。頑是無い子どもに言い含めるように。
―――なにか、祈りをこめるように。

その年の冬、景臣の母である芸妓が祇園の花街から姿を消した。同時に、坂戸の家からも人が一人いなくなった。景臣、晴臣の叔父にあたる、義臣の弟昭臣あきおみだった。祇園の置屋に残された手紙には、景臣の実父が昭臣である由、したためられていたと聞く。
二日後、景臣もまた坂戸の家を出て、それきり行方知れずとなった。その冬最初の雪が桜のはなびらのように舞う、しずかに明るい朝だった。



雲が切れ、おぼろな月のあかりが濡れ縁に射した。瓜実のうつくしい小面が、ぼんやりと緞子の波の中に浮かびあがった。
猪口を盆に置き、その面を取り上げる。見事な小面だった。わずかに差し向けるだけで深い表情をする。
(兄さん、あんたほんまは、ええ人なんかやあれへんかったんかもしれへんな…)
兄と別れた朝を思い起こし、晴臣はやるせない思いに眉を寄せた。
あの朝、景臣の部屋から物音がしたのに気付いたのは晴臣ただ一人だった。一家は数日前に露見したばかりの不祥事に神経をすり減らし、残された妾腹の、しかも不義の子を気にかける余裕など、誰にも残されていなかったのだ。
小さな旅行鞄一つ。たったそれだけを手に部屋を出た景臣を、晴臣は門の前でつかまえた。
「兄さん、どこ行くんや」
寝巻きのまま、息咳きって追いかけてきた弟を、景臣は常と変わらぬおだやかな眼で見つめた。結局、この家で景臣を最もよく見ていたのは晴臣であり、景臣もまたそのことを嬉しく思ってくれていたのだろうと今となっては思う。あの頃の坂戸の家は、子どもの住む場所ではなかった。芸と色事にしか興味のない父。神経症の母。口さがない使用人。親戚達の冷ややかな視線―――。その中で二人にとっては互いだけが心の休まる存在だった。兄弟であり、父であり、母であり、「家」という存在そのものだった。五十に手が届こうかという今になっても、あの頃の景臣ほど自分の近くにあった人間はいないと思う。
そうして十五年と半年、常に兄であり続けた男は、この時もやはり「兄」として晴臣の眼に映っていた。妾腹も本妻腹も関係なく、実はその意識こそが二人の間のわずかな溝だったのかもしれない。景臣はどこまでも「兄」であり、晴臣はどこまでも「弟」だった。兄には庇ってくれるものがなく、弟には寄り添うことのできる陰があった。だから共に立つ存在にはなれないままだった―――それが兄を孤独にしていることにも気付かぬまま。
景臣は落ちついた、しずかな口調で言った。
「なんも心配することあらへん。ちょっと用があって、出てくるだけや」
微笑を浮かべ、いつかの桜の下でのように、強く晴臣の手首を握った。
「ちゃんと帰ってくるさかい、心配せぇへんと早う家に戻り。そんな恰好やと風邪を引く」
髪についた雪を払おうと触れた兄の手が、ふと晴臣の頬に触れた。
つ、と滑って、耳に触れた。眉を寄せた兄の顔に、あの日の松風を見た気がした。いや、これから置き去りにされるだろう自分自身を松風に重ねたのかもしれぬ。
沈香の薫りがあわく香った。予感があったが、そのままうなじへと回る兄の手を、晴臣は止めなかった。
―――口唇は、とうとう最後まで触れ合わないままだった。
額が触れ合うほど近い距離で見つめ合い、景臣は笑っていた。やはりなにか痛むように眉を寄せて、笑いながら一筋だけ、涙をこぼした。気丈で、理性的で、常に「兄」だった男が「弟」に見せた、はじめての涙だった。
「帰ってくる」という景臣の言葉を、晴臣も信じていたわけではない。兄は二度と戻って来ない。わかっていたが、信じていたかった。信じて待ち続けるうちに年を重ね、「若先生」と呼ばれる年になり、ある時、人に言われるまま、内弟子の一人を妻に迎えた。妻を厭う気持ちはまったくなかったが、もとより情の薄かった結婚はほんの数年とたたないうちに破綻をきたした。父の色好みと、母や兄の懊悩を長く身近に知り過ぎたせいだろうか。だが、すなおでやさしかった妻に孤独を負わせ、二人の間の溝を修復できないまでに深めたのは結局のところ晴臣自身であり、すべては言い訳にすぎなかった。
四十をこえて暫くした頃、父であり先代でもある義臣が亡くなった。宗家を継ぐには若過ぎる年だったが、晴臣は悩んだ末、周囲の期待通り、御薗流宗家を継いだ。幼い頃から心構えしていたことではあったが、それでも一時、孤独と負担に耐えかねて花街に足を運んだ時期がある。そうするうちに、同じ花街に愛人を作った亡父の気持ちもわからないではなくなった。父もまた、こうしてどうしようもない孤独に身を揉んだ一人だったのかもしれないと思うようになった。そうしてまた、表面ばかりやさしい女を抱いても一向に満たされぬ孤独を知ってからは、ひたすら芸の道にのみ自らの居場所を求めるようになった。
「御薗流」という途方もなく広く、閉鎖した世界には、自らの他に自らを傷つけるものはない。それは同時に自らの他に自らを癒すものもないということだったが、それでも今の晴臣にとっては唯一の救いだった。少なくとも鍛錬を怠らぬ限り、この世界は晴臣を締め出すことはない。その境地に至るまで、兄と別れて三十年、御薗流宗家を継いで三年が経っていた。
その時から更に四年―――昨年、体調を崩して表舞台から退くまでの間、晴臣はひたすら芸の道だけに打ち込んできた。
だが、一旦その舞台から降りればどうだ。妻は同じ邸内にいながら、会話どころか顔を合わすことすらほとんどない。子もなく、心を許す相手すらいない。ただ病に朽ちた身一つが残された。そうして、酒で得られるわずかな酔いと、ほんの一時の解放と。
従弟に宗家を譲ることを決めたのは今年の夏の初めだった。これから能を続けるのか否か、また続けられるのか否か。すべてが定かではないが、いずれにせよ、この一つの流れを早々に次に渡して、早く自由になりたかった。
引退の舞台を、秋と決めた。演目はもうずっと以前から「松風」と決めていた。宗家の引退の舞台ともなれば老女物の一つでも披露してしかるべきであろうが、五十にも満たない晴臣には荷が勝ち過ぎていた。それに晴臣にとっては、もう長いこと、「松風」こそが自らの道が極めるべきところだったのだ。
そうして一人の家具商が病院を訪ねてきたのは、後援会を通じて公演の通知を出した頃のことだった。


その男が病室に入ってきた瞬間から、なにかの予感はしていた。
男は、自らを松本で民芸家具店を営んでいると言い、小さな風呂敷包みからひとつの箱を取り出した。
「坂戸さんにと知人から預かってきたものです。どうぞ、開けてみてください」
言われるまま、桐の箱に丁寧にかけられた紫の紐を解く。ほのかに沈香の薫りが香った。箱の中には若干小ぶりな面が、紫の布に包まれるようにして収まっていた。
「これは…」
息を呑むような面だった。
瓜実のなめらかな細面の輪郭に、額から中高なかだかに通った鼻筋。わずかに微笑を浮かべる口元と、細められた涼しげな目。様は小面か孫次郎かと思われたが、晴臣の言葉を奪ったのは、その面の持つ、なんとも表現し難い、深い表情だった。
わずかに傾いたその表情は、断崖の孤独を思わせた。一歩足を進めれば谷に落ちる、そういう危うい場所に一人で立つ人間の孤独の表情だった。
また、思わず手を伸ばした揺れで傾いた表情は、ゾクリとつめたいものが背筋を駆け下りるような艶やかな微笑だった。あの十五の春、この眼でしかと見た、あの兄の、景臣のそれだった。
思いがけず、涙があふれた。止めようもなく、それは冷たくこごった胸の奥から、後からあとから涌いてくるようだった。
「兄の作どすな…」
どこか意識の遠いところでつぶやきながら、晴臣は、続く言葉を予感していた。
わかっていた。兄はもう、二度と帰って来ることはないのだ―――永久に。
家具商は、景臣が長野の安曇野で長く民芸家具を作っていたこと、そのかたわらで能面を打っていたことなどを話し、最後に言った。
「こちらは景臣先生が最後に打った小面です。ご遺言で、御薗流宗家にお渡しするよう承りました。このたび宗家はお譲りになるそうですが、先生からうかがっていたお話から、こちらへお持ちいたしました」
「…おおきに」
答えながら、晴臣は相変わらず遠いところで、「遺言」という言葉を繰り返し弄んでいた。
遺言―――兄の、最期の言葉。それすら自分は聞くこともできなかった。ただこうして虚しい死の報せが届いただけだ。
兄がどのような人生を生き、どのように人を愛し、また孤独を食み、どのようにして死んだのか。工芸家をしていたと聞いた今でも、何の実感も涌かなかった。
「兄の…景臣の最期は」
「梅雨時にひかれた風邪から肺炎をこじらせて、つい先日亡くなりました。これも先生のご遺言で、葬儀は親しかった友人、知人で執り行わせていただきましたが…、先生が宗家にだけは、お伝えするようにと」
「そうどすか…」
「先生のお作は、家具だけでなく、面も方々でご好評でしたが、女面だけはどなたにも、頑としてお売りになりませんでした」
―――余計なことかもしれませんが…。
言い置いて、家具商はしずかに去っていった。
しばらくその面を眺め、しまい、また眺めてはしまい、何度もなんども繰り返し、ようやく最後に晴臣はその面を箱から取り出した。途端に怪しいほどにその面の表情が動いた。俯きがちにふわりと頬を染めたような初々しい表情は、どこか見覚えのあるものだった。
―――わたしか。
気付いた瞬間の、わななくような幸福感とかなしみを、どう表現していいのかわからなかった。胸の奥が詰まるように痛み、強く押さえながら、泣いた。病の発作ではありえない甘美な衝撃だった。あの冬の朝の別れを思い浮かべるたびにかすかに甘く胸を痛ませてきた、その痛みと同じだった。
小さな面を、なにものにも替え難くいとおしく感じ、晴臣はそれを大切に抱きしめた。胸に抱く小面は、景臣であり、また晴臣でもあった。坂戸の家を出て三十数年、傍にいられた時間よりも、離れていた時間のほうがずっと長い。だが、距離と立場をはるかに隔ててなお、それこそ死の瞬間まで、景臣の心はだれよりも晴臣に近くにあった。この面一つ見るだけで、そう確信することができた。
景臣のおだやかな、感情的にならない微笑。恋におぼれた、滴るような艶。晴臣の初々しく楚々とした恥じらい。絶壁の孤独。
今では、兄と慕った男が自分に向けた感情が、なんとはなし、わかるようだった。そしてまた、自分が景臣を想う気持ちも、限りなくそれに近いように感じた。今の自分が孤独なように、あの頃の兄も孤独だった。だが景臣は、坂戸の家を離れた生活のどこかで、孤独の闇を抜けたのだ。それは常にやさしげに見えた兄の、晴臣の知らない心のつよさだった。だれにも譲らなかったという女面を打ちながら、景臣は意識の内に晴臣を愛し、やすらぎを得たのかもしれない。妻を抱き、芸妓を抱き、しかしどうしても見いだすことのできなかった満足とやすらぎを、晴臣も今、たった一打ひとうちの小面から受け取った。
孤独とかなしさと、やるせなさに泣けた。そして、それらすべてを癒し、あふれるように幸福な気持ちにしてくれるのもまた、たった一打の面だった。
帰ってくると約束した愛しい男を、三十年以上たって、ようやく胸に抱いた瞬間だった。



「兄さん、おおきに…」
―――よう作ってくれはりました。
白い小面に囁くように言って、晴臣はおもむろに立ち上がった。
今日、久方ぶりに舞台を踏んだ。景臣が最後に残した女面をかけて、「松風」を舞った。
「たとひしばしは別るゝとも、待たば来ん」という行平の言葉を信じて恋焦がれた海女の松風。彼女の想いは、とうとう、むくわれることがなかったが―――
物着で烏帽子と長絹の装束に身を包みながら、晴臣はあの春の養成会を思い出していた。終始理性的だった景臣が垣間見せた、あの恋焦がれることの狂おしさと幸福感。その気持ちが、今、なによりもよくわかると思った。
―――あらうれしや。あれに行平のお立ちあるが、松風と召され候ふぞや。
松風の舞が物狂いの様相を呈する場面、
「因幡の山の峰に生ふる、松とし聞かば、今帰り来ん」
謡った瞬間に、薄暗い面の内側から、ほのかにそれが見えた。
松風が行平と見紛えた松の立木のあるはずの場所に、景臣が立っていた。十七の頃の若々しい面立ちのまま、あのおだやかな微笑を浮かべてこちらを見ていた。かと思うと、次の瞬間には、痛むように眉を寄せて笑った。その幸福な痛みを、自分も今は知っている。沈香の甘い薫りに抱かれて舞う能は、まるで夢の中のようだった。物狂おしいほどの慕情は、松風のものであり、景臣のものであり、晴臣自身のものでもあった。その、幸福感。その、甘美な夢の―――

(おおきに、兄さん)
余韻に浮かされるまま、舞台でまとった装束をかずき、晴臣は時雨に濡れた庭に降り立った。叢雲のかかる月のあかりはおぼろに淡く、騒ぐ風が松の枝から雨のしずくを振り散らしている。
―――これはなつかし、君ここに、須磨の浦曲の、松の行平、立ち帰り来ば、われも木陰に、いざ立ち寄りて、磯の馴松の、なつかしや。
都で逝った行平。遠い須磨から恋焦がれながら、自らもやがて果てた松風。自分も、そう間を置くことなく景臣を追いかけることだろう。
だが、もう、孤独ではない。ここにあるのは身一つだが、それでも真の孤独ではない。その幸福を表すすべもまた、晴臣にとっては舞一つだった。

松風は雨のように嫋嫋と鳴り、舞い散るしずくは桜のはなびらのように皓く輝いている。





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「INDULGE」のユエさんから頂いた作品です。
友人から頂いたキリリクのテーマに沿って描いたイラストのラフ画を気に入って下さり、本当に大筋ばかりの設定とタイトルくらいしかなかった絵を、このように切なく、美しい短編に仕上げてくださいました。
いつもながらの流麗で、眼前に美しい情景が浮かんでくるような卓越した文章に感嘆しながら、何十年という月日を経てなお、互いを思い合う兄弟の優しく哀しい物語を堪能させて頂きました。どこまでも静謐な物語であるようなのに、主人公たちの胸に秘められた思いの深さ、激しさに、まさに能の一舞台を見ているような感動を味わわせて頂きました。
以前も同じようなことを書いたかもしれませんが、自分が何気なく描いたイラストから、このように美しく、素晴らしい作品が生まれるというのは、魔法のように不思議に思われます。こんなことは本当に望んでも叶うようなことではないわけで、実に私は果報者だとしみじみ思います。ユエさん、今回も本当に素晴らしい作品を、ありがとうございました。
なお、「名残の舞」のカラー版イラストも、このサイトのIllustコーナー、和風もののコーナーに展示してございます。よろしければ、あわせてご覧頂ければ幸いです。

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